富士見中で中山さん 従軍体験語る

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富士見中学校で従軍体験を語る中山さん

富士見中学校で従軍体験を語る中山さん

第2次世界大戦中の1941(昭和16)年に、旧日本軍が米ハワイの真珠湾を攻撃した日に当たる7日、朗読ボランティアの中山正一さん(89)=富士見町富士見=は富士見中学校2年4組で、自身の戦争従軍体験を話した。神風特別攻撃隊の機銃整備兵として従軍し、爆撃をかいくぐりながら仲間を送り出した日の記憶をたどり、「自分の意志で生きられなかった悲惨な時代があったことを知ってほしい」と生徒たちに語り掛けた。

中山さんは、町内小中学校で本の読み聞かせのボランティア活動をしており、「いつか子どもたちに自分の体験を語りたい」と念願していた。「戦争の矢面に立った人たちは多くが他界し、戦争の記憶を語り継ぐ人がほとんどいなくなった。自分の従軍経験は乏しいが、平和のため役立ちたい」と思っていたという。

中山さんが従軍したのは1944年、17歳の時。都内で左官職人の見習いをしていたが、徴用令で出役が免れなくなり、自ら志願兵となった。7カ月の訓練を経て千葉県内の茂原海軍航空隊に配属され、終戦まで零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の機銃整備にあたった。

「普段、特攻機は林の中に隠していたが、米軍の陽動作戦に乗せられて、50機のうち16機を目の前で撃破されてしまった。ある時は、隠そうと飛行機を押している最中に爆撃された。鋭い破片が飛び散り、はらわたが持ち上がるほどの爆風を受けたが、奇跡的に無傷だった」と九死に一生の出来事を振り返った。

終戦当日について「残った全機を送り出す命令が下った。霧が濃く、予定時間を1時間過ぎて発動した時にはすでに上空に米軍の機動部隊がいて迎撃された。私が経験した中では終戦日の午前中が一番大きな戦闘で、死者も一番多かった。結局、50機の特攻機は敵のグラマンを1機も落とせず、たくさんの仲間が死んだ」と悔しさをにじませた。

旧日本軍による真珠湾攻撃から75年となる今年、安倍首相が現職で初めて現地を訪問し慰霊をする。中山さんは「政治生命や政権戦略のためでなく、心から国民のこと、日本の将来のためを思っての訪問であってほしい」と願いを込めている。

同校では16日にも中山さんを迎えて全校で話を聞く会も計画している。

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