戦時中の疎開児童の暮らし 赤羽さん本を出版

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「晩秋の夜明け」を自費出版した赤羽稔章さん

伊那市高遠町出身の元教員、赤羽稔章さん(89)=箕輪町松島=は、戦時中、当時の高遠町と三義村に集団疎開していた子どもたちの暮らしについて書いた本「晩秋の夜明け」を自費出版した。疎開児童の寄宿先となっていた満光寺の寮母が残した資料や当時疎開していた桃園国民学校(東京都中野区)の児童たちが後年自らの体験をまとめた文集などを参考に、親元を離れて過酷な集団生活を送る子どもたちの暮らしぶりを紹介している。

太平洋戦争末期の1945年ごろ、三義国民学校に疎開していた児童と交流した経験を持つ赤羽さん。「自分と同世代の子どもたちが高遠や三義でどんな生活を送っていたのか知りたかった」といい、手掛かりとなる資料を集めてきた。

本では寮母の樋口志げ子さんが保管していた給食日誌や学級日誌、高遠町尋常高等小学校の木下義男校長が残した当時の日記、桃園国民学校の疎開経験者による文集「山河清くとも」などを手掛かりに、当時の暮らしを紹介。米を主食としていた給食が食糧事情の悪化に伴い麦飯中心となり、食材を切り詰めていく様子がうかがえる。

疎開経験者80人余の体験談をまとめた文集では「食」についての記載が圧倒的に多く、赤羽さんは「くわを持ったこともない子どもたちが、校庭を耕し、サツマイモを植えていた」「山菜や木の実などで空腹をしのいでいたようだ」と振り返る。

また、木下校長の日記には当時の生活が細かく記録されていたといい「小さい子どもたちが親元を離れ、環境の全く違う伊那谷で幾日も生活するその姿に心打たれる」と感動。資料を提供、寄託してくれた関係者に感謝している。

本は70部印刷し、関係者や希望者に配布。後半には赤羽さんの随筆「思うがままに」を掲載している。問い合わせは赤羽さん(電話0265・79・3573)へ。

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