2023年9月17日付
〈地域狭少地味磽かく【石に角】にして農業のみでは生活し得ざりしこと〉。平野村(現岡谷市)で製糸業が急速に発展した理由を尋ねたところ、多くの製糸家がこう答えた。昭和5年の調査結果が「平野村誌下巻」に載っている▼土地が狭く、やせていて石も多い。農業に適さない場所であることが、人々を製糸業に向かわせた。諏訪湖の水がそれを支え、繭の保管に適した乾燥した気候と交通の要衝である好立地が味方をした。輸出生糸の一大生産地「シルク岡谷」の誕生である▼理由はもう一つ、古老の意見が〈堅忍不抜、質朴剛健、勤倹努力〉で一致した。器械製糸が始まった明治初年、松本平や飯田地方の経営者は財産家で羽織袴で世話を焼く人が多かったが、岡谷は法被股引姿だったという。朝から晩まで家族総出で働き、資本の不足や経営上の損失は自らの労力で補った。他に頼らない自主自立の気質はこうして育まれた▼人口が爆発した平野村は昭和11年、町制を飛び越して市制を施行する。当時、製糸工場で働く若い女子工員は3万4500人に達し、人口のほぼ半数を占めていた。名実ともに「大岡谷」となった▼きょう岡谷市長選が告示され、新人3人が立候補する見通しという。岡谷の人口は4万6000人余。人口減少と少子高齢化、担い手不足…。課題は山積している。逆境をチャンスに変え、自ら汗をかくニューリーダーの登場を心から願う。