中世諏訪上社の神職紹介 神長官守矢史料館

神職「五官祝」を取り上げた企画展「諏訪上社の五官祝~其ノ二 中世編2~」
茅野市神長官守矢史料館で、企画展「諏訪上社の五官祝~其ノ二 中世編2~」が開かれている。中世の諏訪上社(諏訪大社上社)の神職「五官祝」を取り上げた企画展の第2弾。五官祝の一つ神長官を務めた守矢家(同市)に残された古文書11点を展示し、武田信玄の諏訪支配から安土桃山時代までの五官祝の状況を紹介している。10月9日まで。
同館によると、諏訪上社の神職には大祝の下に五官祝があった。五官祝は神長官、祢宜太夫、権祝、擬祝、副祝の五つ。大祝は現人神であることから実際の神事は五官祝が執行し、重要な役割を担っていた。
展示史料のうち「神使御頭之日記」(1528~54年)では、祢宜満清が高遠諏方頼継とともに武田晴信(信玄)に敗れて伊那地方に追われ、祢宜太夫職が空席となったため守矢家の嫡子犬太郎が就き、ここで祢宜太夫の系統が交代したことがわかる。また「武田晴信名字状」(45年)は、犬太郎(守矢信實)に晴信から「信」の字を与えることを伝える書状で、晴信と守矢氏との密接な関係がうかがえる。
「正親町天皇綸旨」(69年)は、上社内部での上下関係につながる神職の席順争いの状況が分かる。朝廷から高位を与えられ権力が増大していた神長頼真に他の四官が反発したが、朝廷が神長官を列座の上位とする―と裁定したことが記されている。「武田信玄書状」(59年)では信玄も神長官が上位であるお墨付きを与えている。
同館では「混乱していた戦国時代には、上社内部でも権力闘争があったことを知ってもらえたら」としている。
月曜休館。問い合わせは同館(電話0266・73・7567)へ。