2023年10月15日付
昭和20年8月6日午前8時15分前。広島の街は戦時下とはいえ人々の日常があった。それぞれの一日を奪ったのは一発の原子爆弾だった。無差別に、一瞬に、または苦しみを与え続けた末に、それまで確かにあった命をぶった切った▼当時広島には居住者や軍人ら日本人だけでなく、米国生まれの日系人や米兵捕虜、ドイツ人神父、東南アジアからの留学生や植民地だった朝鮮、台湾、中国大陸から連れてこられた人々がいた。原爆は国籍や民族、年齢や性別の区別なく、あらゆる人々を襲った▼広島平和記念資料館には8月6日のその日、確かに生きていた人々の証しが顔写真とともに展示されている。「今日は、お父さんに、おいしいスープをつくってあげる」「一生けんめいすると、何でも面白いと思った」。なぜこの人たちが亡くならなければならなかったのか▼イスラム組織ハマスとイスラエルの戦争状態が激化している。空から降るミサイルの雨が日常を壊している。ガザ地区にあった人々の営み、ささやかな幸せが権力者によってつぶされている。国籍や民族、年齢や性別に区別なく▼死傷者は日を追うごとに増えている。電気が止まったガザ地区からの情報発信の手段は今後狭まり、現地の様子はイスラエル発の情報に偏っていく。どんな発表があったとしても、そこには苦しみ、亡くなる人がいて、何倍もの悲しむ人がいる。忘れてはいけない。