2016年3月10日付

LINEで送る
Pocket

鉄製の筒は、見た目以上にずしりと重かった。六角柱で直径約7センチ、長さ約50センチ。71年前のきょう、この筒が東京を火の海と化した光景を想像し、ぞっとした▼東京大空襲で使われたと伝えられる焼夷(しょうい)弾を箕輪町郷土博物館で見せていただいた。浅草に投下された記録が残る。筒の中には油脂が詰められ、衝撃で爆発すると周囲に炎が広がった。木造家屋は火に弱く、ひとたまりもない。大量の焼夷弾が雨のように降り注ぎ、未明の2時間半の空襲で10万人以上が犠牲になったとされる▼筒の尻尾には姿勢を安定させるためのリボンが付いていた。「後から来る火災の恐ろしささえなければ、笛を吹いているような、芸術的とでも言えるようなやさしい音だ」と落下時の音について体験者が書いている(「平和へのいのり」駒ケ根市立博物館)。なんとも不気味だ▼炎を逃れようとして川に飛び込んだり、物陰に身を寄せたりした人も大勢いた。「岸辺の草につかまりながら炎にあぶられて亡くなった姿は一生私の心から離れない。電車のガードの所では、人々が折り重なって黒くなり、亡くなっていた」と、別の体験者は回想し、「あの当時では書けなかった」。いかに悲惨だったかが伝わってくる▼焼夷弾による無差別爆撃は東京を皮切りに大都市が標的となり、空襲は中小都市と及んでいく。多くの人命が奪われた「3・10」も記憶にとどめておきたい。

おすすめ情報

PAGE TOP