2023年10月18日付
「戦いの最前線にはいなかったから」と有賀万之助さん(富士見)は遠慮しつつ語り始めた。第二次世界大戦の戦況が悪化し、満州電信電話の社員だった19歳の彼も入隊を命じられ訓練に明け暮れた▼戦術名は「対戦車肉迫攻撃」。火薬が詰まった40センチ角の木箱を抱えて戦車に駆け寄り、起爆ボタンを押して車体下に投げ込み、伏せる。爆発まで5、6秒。銃撃戦は最後の1発を残して敵陣に飛び込み、筒先の剣を交えた後、一人を撃つ-そんな戦い方も練習した▼死を考えるよりも「願わくば成功を」と思うばかり。前線が次々に倒され、いよいよと草むらに潜んでいる時に終戦を迎えた。ソ連軍の捕虜となり、「食事なし、立ったままで三昼夜」の行軍、半数近くが落命した収容所生活を経て帰国。父は抑留先で亡くなった▼ウクライナに続き中東で殺りくが激しさを増している。戦闘は人びとをいや応なく殺人の当事者にしてしまう。殺すか殺されるかの局面に人倫は失われ、大義の前に命が奪われていく。身近の平和に浸り、よそ事のような気になっていた横面を張られた思いがした▼世界の緊張が高まる今こそ、この国の戦争体験者の言葉に耳を傾けたい。兵士や市民が置かれる状況、家族を失う苦しみなど事実を知ろうとすることから平和への行動が始まるのではないか。昨今は昔話をいとうきらいもあるが、いつでも生の声に勝る学びはない。