迫る御柱祭[第3部]ひと模様 1、宮坂和生さん

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木やりの師匠、祖父高富さんの背中を追い掛けている。木やりを高富さんから教わったのは4歳の1956(昭和31)年の御柱だった。家の近くを流れる上川に大きな渕があり、そこが木やりのけいこ場所。御柱が近くなると毎晩のように出掛けては、「滝の音に負けないように」と教えられたという。

普段は優しいおじいさんが、木やりの練習となると厳しかった。木やりの名手で、第1回の木やりコンクールでは金賞に入賞していた。御柱になると、生卵の殻の先に穴を開けて中身をすっと飲み込んでいた。黒豆の煎じ汁と合わせて、祭りで口にする必需品として、必ず持ち歩いていた姿を思い出す。

師匠の姿は御柱祭の中でも目立ち、衣装や麦わら帽子は「キンキラ」。街道沿いに並ぶ家のトタン屋根を伝っては、高い声で鈴のようにコロコロとよく回る節回しで、御柱を動かしていた。その「じいさんの節回し」を受け継いでいる。

目標は祖父の木やりだが、もう1人「憧れの木やり師」がいる。名人の称号を持っていた諏訪市の故小松昇さんだ。「第2回のコンクールで聞いた小松さんの木やりに、何か感じるものがあった」。やはり鈴が鳴るような木やりが会場に響き渡ったという。

このときの木やりコンクールは10歳で、大人に交じって出場し、見事に銅賞に選ばれた。その年の御柱祭の里曳きでは、建て方の親方の配慮で作業が始まる御柱に上って、兄弟3人で木やりをやらせてもらった。「たくさんの人に見られていたのを覚えている。そこで歌って、とても気持ちがよかった」。

今回の御柱祭は、初めて「日本一」のたすきを掛けて臨む。「コンクールの結果は、じいさんに報告した。きっと喜んでくれている。今年は(地元のちの地区が)お舟の当番も回ってくる。本当に名誉なことだと思う」

今年は地元本町区の区長を務める身だが、地域の人たちの協力をもらいながら上社最高位の木やり師としての仕事も果たす。「責任重大だと感じている。プレッシャーもあるが、木やりで貢献したい」と、間近の本番を見据えた。

師匠高富さんの面影と共に御柱街道でおんべを高くかざす。「日本一」の節回しだ。

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諏訪大社御柱祭の開幕が目前となり、氏子らは準備や練習を重ね、気持ちを高ぶらせている。曳行の中心となる人や支える人など、祭りを取り巻く人々にスポットを当てる。

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