はだしで外に 原村在住の一家が珠洲市で被災

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能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市出身で原村在住の番場美智代さん(42)が現地で被災し、12日までに長野日報社の取材に応じた。夫の琢さん(41)や子どもたちの一家6人で珠洲市の実家に帰省中に被災。逃げて全員無事だったが実家は瓦が落ちるなど半壊状態。4日に村内に戻り、発災時の状況や避難生活について語った。

1日、両親や兄弟、家族ら13人で家族団らんする中、突然大きな揺れに襲われた。少し落ち着いた後、2回目の揺れで「家がコンニャクみたいにフニャフニャに揺れて」「家が崩れる」と思い、はだしで家の外にばらばらに飛び出した。琢さんはとっさに4歳の三男と7カ月の長女を片手ずつ抱えて逃げた。美智代さんは「本能で飛び出して何も覚えていない。一瞬の判断が大事だった。(助かったのは)本当に奇跡」と話す。

実家は沿岸部の同市三崎町寺家(じけ)地区にあり、数十メートル先は海。自宅の納屋の瓦が車に落ちてきたが、急いで津波から逃れようと車体が余震でぐらぐらと揺れる中、高台に向かった。近くの集会所には約90人が身を寄せて助け合いながらの避難生活。幸い発電機や燃料を持っていた人がいたため暖を取れたという。

実家周辺は崩壊した住宅が多く、仲間が下敷きになっている―と助けに戻る人もいた。美智代さんは当時を振り返って「本当に苦しい思いをしている」と話した。周辺では橋が損壊するなど一時孤立状態になったが、住民たちが力を合わせて修繕。3日午前に珠洲市を車で出発し、陥没や隆起、土砂崩れを受けた道路状況に加えてひどい渋滞で苦労しながら通常の倍以上の約17時間半かけて村内に戻った。

美智代さんの両親は珠洲市で避難生活を続ける。原村への避難を勧めたが、高齢化が進む古里で父(65)は避難所のリーダー的な存在として力を注ぐ。琢さんは「同じ避難している人が子どもに食べ物やお菓子を回してくれた」と人の優しさに触れたという。ただ、限られた食料などの状況から被災地に負担を掛けないよう「帰れる人は帰った方がいい」と村内に戻ることを決断。「申し訳ない気持ちもあった。戻ってもいいときになったら復旧の手伝いに行きたい」と話していた。

琢さんは今回の経験からガソリンや灯油などの燃料と発電機の備蓄の重要性を指摘。さらに備蓄品は自宅の奥にしまうと家が損壊したら取り出せないため、屋外の倉庫や車庫での保管を勧めていた。

珠洲市内の死者は12日午後2時現在98人。うち6人は災害関連死とされる。

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