小澤征爾さん死去、悲しみ広がる 諏訪地方

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長野日報社の単独インタビューに応じた小澤征爾さん=2012年12月

世界的指揮者、小澤征爾さんの訃報から一夜明けた10日、諏訪地方の音楽関係者にも悲しみが広がった。1992年に始まった「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)」の原点を「諏訪」だと語っていた小澤さん。フェスの実現に尽力した諏訪交響楽団会長で、同フェス事務局アドバイザーの武井勇二さん(85)=下諏訪町=は「偉大な人を失った。もっと長生きしてもらいたかった」と語り、地域の音楽文化に大きな足跡を残した音楽家の死を悼んだ。

すべての始まりは、小澤さんが諏訪響でベートーベンの「運命」を指揮した1964年1月25日にさかのぼる。成城学園中時代に担任だった今井信雄さん(岡谷市出身)を通じて小澤さんを招へいした。当時、小澤さんは28歳、武井さんが25歳。武井さんは、西洋音楽に対する情熱と才能に触れて「えらい(すごい)男がいるな」と感嘆し、「この刺激は諏訪響の力になる。この男を離しちゃいけない」と確信したという。小澤さんの公演に足しげく通い、親交を深めていった。

武井さんは、諏訪清陵高校卒業後に大和工業(現セイコーエプソン)に入社。後に社長となる故中村恒也さんが課長を務めていた技術課に配属された。サイトウ・キネン・オーケストラを世界的に育てたいと考えていた小澤さんの”野心”を聞き、海外公演を支援したのがセイコーエプソン(諏訪市)だった。

武井さんは「この人のためにお金を出してくれないか」と、社長になっていた中村さんに直談判。小澤さんと中村さんは意気投合し、同社は89年から3年間、海外公演を単独で支えたという。武井さんと中村さんはその後、オペラを含む世界的音楽祭を願う小澤さんに共鳴し、共同作業でサイトウ・キネン・フェスティバル松本の実現に尽力した。

互いに体調を崩し、ここ数年会っていなかったという武井さん。「小澤征爾さんはオーケストラの素晴らしさを伝えてくれた。その情熱と才能が私たちアマチュアに伝わり、音楽文化の基礎を作ってくれた」と語る。「人間的におおらかで豊か、才気とエネルギーに満ちあふれていた。いつか会える、話ができると思っていたのに。時代が去ったなという感じ。諏訪響で振ってくれたことに改めてお礼を言いたい」と話した。

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