藤原ていさん激動の生涯 諏訪市生涯学習講演会

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諏訪市教育委員会は5日、市文化センターで生涯学習講演会「新田次郎の妻、藤原てい~激動の時代を生きた生涯を偲(しの)んで~」を開いた。生前の新田さん夫妻と親交のあった、諏訪こぶしの会会長で市文化財専門審議会委員の市川一雄さんが講師を務めた。昨年11月に98歳で亡くなった藤原さんの生涯を軸に夫妻の思い出深いエピソードをユーモアを交えて紹介。市民ら約250人が耳を傾けた。

諏訪市出身で直木賞作家の新田次郎さん(本名藤原寛人)の妻、藤原ていさんは茅野市出身で諏訪高等女学校(現諏訪二葉高校)を卒業。1939年に中央気象台(現気象庁)で働いていた新田さんと結婚。夫妻は子どもたちと43年に旧満州(現中国東北部)へ渡った。終戦後、苦難の末に日本へ帰国した実体験を書いた藤原さんの「流れる星は生きている」がベストセラーとなり、作家としての歩みをスタートさせた。

満州では夫がソ連軍の捕虜となり、幼い子ども3人と一緒に命からがら逃げてきた藤原さん。いくつもの山を越え、はいずるように北緯38度線を越えてきたという。市川さんは「やっとの思いで日本に帰り、上諏訪駅にたどり着いたときには(藤原さんは)心身疲労で足腰が立たない状態で、精神的にも不安定な状態だった」と話した。

その後、新田さんも無事日本へ帰国し、家族での生活をスタートさせた。ベストセラー作家になった藤原さんは、全国各地で講演活動を続けながら、執筆活動に力を注ぐ新田さんを支え続けた。

2人がしばしば衝突していたエピソードも紹介し、「最後は藤原さんがしっかり事を収め、夫婦の間に亀裂を作ることはなかった。藤原さんは自分の主張を通しながらも主人を立てていた」と指摘。夫妻の写真をスクリーンに写しながら、仲むつまじい様子を語った。

市川さんは「2人は本当に幸せな生涯だったと思う」と振り返り、これまでの功績をたたえ、故人をしのんだ。

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