迫る御柱祭[第3部]ひと模様 7、今井也浩さん

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御柱の先頭に立ち、御柱の名前が書かれた御幣を掲げる。その仕事は「奉持(ほうじ)」と呼ばれる。玉川・豊平地区では、氏子の中でわずか4人に任される大役だ。「大きな試練をいただいた。御神木と一心同体となり、無事おやしろまで直立不動で奉持できるよう、精いっぱい努めたい」と意気込む。

御柱の「すごさ」を知ったのは1986年、23歳だった。上場沢の祭りに奉仕する伝統の若者会「尚豊社(しょうほうしゃ)」に参加した。建設業をしていたこともあって、「本宮三」のわなぐりに携わり、「一致団結して全てが動くことに感動した」。

尚豊社の社長になった92年は「本宮一」の木落しでメドデコの一番上の「トンボ」を務めた。「皆様の協力のおかげできれいに落ちた。感無量だった」。98年の「前宮二」では建て御柱で上から6番手までの「六人衆」に選ばれる。2004年の「本宮一」と10年の「前宮四」はめど係として、若者の取りまとめ役を担当した。

6回目の御柱となる今回、初めて若者を離れて臨む。

玉川・豊平地区の御幣係は各地区から2人が選出される。豊平地区では、大総代選出地区(南大塩)から1人、もう1人は他10地区の持ち回りで選ぶのが慣例だ。60年に1度のめぐり合わせが、突然、自分の目の前に訪れた。

昨年1月。上場沢で祭りの人事をつかさどる尚豊社の若者十数人と頭郷総代から、御幣係の就任を依頼された。「とてつもない大役だ」と正直驚いたが、御柱に懸ける若者たちの情熱が過去の自分と重なった。「何とかやり遂げよう」と、その場で「やる」と答えていた。

それから日々精進に励み、今年1月からは毎朝の抽籤祈願に参列。毎回500人前後の氏子と諏訪大社上社本宮を参拝し、ふさわしい柱が授かることを願い、無事に職務が全うできるよう祈った。

祭り本番を前に「今までと違う緊張感」に向き合い、神事に奉仕する意味を深く考えるようになった。自分たちの世代がしてきた御柱が正しかったのか自問自答し、次世代に受け継がれていく姿を「見届けたい」とも思う。

山出し初日。綱渡りの神事を終え、御柱が動くその瞬間、6年の時間と心が「リセットされる」という。若者を引っ張ってきた寡黙な背中が、「協力一致」の言葉を胸に晴れ舞台に挑む。

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