2017年03月07日付

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昭和19年(1944年)の夏、東京から山形に向かう列車の中に、当時小学生だった脚本家の倉本聰さんがいた。上山(現上山市)の旅館に到着すると、ガキ大将の級友が大声で泣きだした。泣き声は40人の学級全体に伝染した。戦争中の学童疎開である▼倉本さんは「夜、布団に潜り込むとおやじやおふくろを思って目が潤んだ」と、自伝に記している(「見る前に跳んだ」日本経済新聞出版社)。主食は筋が多くて甘みのないサツマイモが中心。甘いものに飢え、絵の具までなめたという▼先ごろ、伊那谷に疎開経験のある井上佐喜子さん(79)=東京都=が、中川村に当時の書簡約60通を寄贈した。両親とやりとりした大切な自筆の手紙だ。自分の棺と一緒に燃やすつもりだったが、親族の勧めで資料として役立ててもらうことにした▼戦時下とあって、手紙には「さびしい」や「つらい」といった言葉がない。「みんなと力を合わせて一生懸命やりとげます」など、両親に心配をかけまいとする小学2年生の手紙は胸に迫る。いかに戦争が子どもたちを苦しめたか、貴重な記録だ▼地元の子どもたちとの関係はどうだったのだろう。井上さんは「当初は不安だった」が、登校初日に体がぶつかった地元の女の子が「かんにゃ(ごめんね)」と言ってくれ、気持ちがほぐれたという。「疎開先では良くしてもらった」という言葉を聞いて、救われる思いだ。

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