2017年03月11日付

LINEで送る
Pocket

あまりに衝撃的だったことと、ちょうどその日がこのコラムの担当だったことから、6年前の3・11午後2時46分に自分が何をしていたか、鮮明に覚えている。地震が起きた時は伊那合同庁舎の一室で開かれていた会議の取材中だった▼揺れが始まり、会議室に居た全員が「地震だ」と顔を見合わせた。異常に長く続く揺れに、ただ事じゃないと感じた人も多かった。会議の取材は放棄して支局に戻ると、テレビでは速報が始まっており、やがて上空からの津波映像に身震いしながらも目が離せなくなった▼1万8000人を超える死者・行方不明者を出した震災と、ピーク時には16万人を超える避難者を出した福島第1原発事故。時間はすべての人に平等に流れるが、被災者と、遠く離れた場所にいて運良く被害を免れた人とでは、全く速さの異なる6年間なのだと思う▼大切な肉親を亡くした人、今も故郷に戻れない人の中には、心の中の時計があの日で止まったままの人もいるだろう。そんな人たちに自分は何ができるだろうと自問しても、「何もできない」という答えが正直な気持ちだ▼6年前にテレビ画面にくぎ付けになりながら書いたコラムでは、最後に「一人ひとりが救援に向けて、できることをできる範囲で協力することが必要だ」と結んだ。6年後の今、救援という言葉から「寄り添う」という言葉に代えて、改めて心に刻み込みたいと思う。

おすすめ情報

PAGE TOP