「一夜の城」東にも巨大堀 伊那市教委

LINEで送る
Pocket

「一夜の城」東側で新たに見つかった巨大な堀

伊那市教育委員会は7日、戦国時代、織田軍が高遠城(伊那市高遠町)を攻めるため築いたとされる「一夜の城」(同市富県貝沼)の発掘調査で、城の虎口(入り口)がある東側で新たに巨大な堀が見つかったと発表した。既に見つかっている北、西、南側と合わせ、城を取り囲むように四方に堀があったことが判明。急ごしらえの一時的な城では考えられない堅い守りであることが分かってきたことから、市教委は「一晩で築かれた城」ではなく、地元の豪族などが使っていた城を本陣として使用した可能性が高いとの見方を強めた。

この城には堀がないと考えられ、一時的な「陣城」とされてきたが、市教委が2012年に行った発掘調査で、約50メートル四方の土塁の外側に堀があることを確認。堀には幅を広げた改修の痕跡も見つかった。こうした改修は鉄砲が使われるようになって増える傾向があるとし、この城がもともとは豪族などの城として長期間使われていたことを示す証拠の一つとされた。

今回の調査では、東側の2カ所で試掘を実施。幅8・5メートル、深さ2・7メートルほどの堀が見つかった。赤土と黒い土が重なる層があり、赤土の地面を掘って堀を築き、後に黒い土がかぶさったと推測。最深部には堀の幅を広げた改修の痕跡とみられる角度の異なるくぼみも確認された。

学芸員の濱慎一さん(40)は「今回の調査結果からも、一夜で築いたという可能性は低く、そのことが裏付けられた」としている。また、織田信長の一代記「信長公記」には「貝沼原で陣取った」という記述があるが、「織田軍がいたという証拠も見つかっていない」と指摘した。

濱さんは「兵士たちは土鍋を持ち歩くため、三河地方で作られた土鍋が出てくれば証拠になる。もし5万の軍勢だとすれば、この城には入りきれない。周囲に野営した痕跡などが残るはず」と推測。「一夜で築かれた城ではないかもしれないが、この辺りでは一番強固な城。本当に織田軍が陣取ったかどうか調査が必要」と話している。

おすすめ情報

PAGE TOP