大正末期の手紙など発見 岡工野球部の歴史

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多数見つかった大正末期から昭和初期にかけての野球部に関する資料

岡谷工業高校(岡谷市)の野球部に関する資料が多数見つかった。前身となる諏訪蚕糸学校時代の大正末期から昭和初期にかけて、全国各地の学校とやり取りした手紙やはがき、名刺など合わせて約800点。同校同窓会が4年後の創立110周年に向けて資料を整理する中で発見されたとし、「全国の野球史をひも解く資料。いずれは公開できる形にしたい」としている。

資料は段ボール箱1個分。1920年に野球部の初代部長に就いた故・御子柴三郎さんが所有していたもので、OBらが譲り受けたまま所在が不明となっていたが、50年ぶりに同窓会館の事務室で未開封のまま見つかった。

同校野球部は、1915(大正4)年に部員11人で創部した。1929(昭和4)年には夏の甲子園に初出場。連続出場した1930年夏は準優勝しており、この時代を中心とする資料が多いという。

資料は全国の学校からの練習申し込みや、新聞社や電鉄会社からの大会参加の要請、大学野球部への勧誘などさまざま。1931年夏の甲子園大会で準優勝した台湾代表の嘉義農林からの礼状や、野球殿堂入りした信州人の一人である櫻井弥一郎さん(現佐久市出身)から送られた激励文などもある。南信日日新聞(現長野日報)主催の「第5回甲信青年選抜野球大会」の委員の委嘱状のほか、南信日日新聞などが前早大監督の市岡忠男さんを招く懇談会の案内状などがあるという。

1968年に甲子園に出場した当時の監督、丸山倍男さん(80)=岡谷市今井=は「黄金時代を知る貴重な資料が出てきたことに意義がある。公開するチャンスがあればしていきたい」と話していた。

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