関係者が悼む声 平尾昌晃さん死去

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平尾さんと共作した「星のみずうみ」や直筆の手紙を前に思い出を語る小口幸重さん

21日に79歳で亡くなった作曲家で歌手の平尾昌晃さんは、1968年12月から約1年間、結核治療のため岡谷市内山の健康保険岡谷塩嶺病院(現岡谷市看護専門学校)に入院していた。平尾さんと親交を続けてきた地域の人々から悼む声が聞かれた。

当時、塩嶺病院の看護婦長だった小口由子さん(85)=岡谷市御倉町=は「穏やかな人でした」と振り返る。諏訪湖を一望する個室で過ごし、肋骨6本を取る大手術を経験。見舞いに訪れる芸能人も多く休養に苦労した。ギターを弾いて作曲する時は看護師も入室しないよう気を配ったという。

南信日日新聞(現長野日報)の記者だった廣瀬博人さん(84)=同市長地=は”行方不明”だった平尾さんの入院生活をスクープ。「すっぱ抜いたのに怒ることなく気さくに病室で業界の話をしてくれた。周囲を明るくする笑顔が忘れられない」と話す。

平尾さんは「星のみずうみ」(69年)という作品も残した。作詞は小口幸重さん(77)=同市湊=。当時、塩嶺病院に入院していた父が、幸重さんが作詞した「みれん川」のレコードを平尾さんに見せたのがきっかけだった。

「時間が空いたから書いてきてくれないか」と作詞を依頼された幸重さんが届けたのは3作品。平尾さんは「諏訪湖をイメージできる」と「星のみずうみ」を気に入り曲をつけた。布施明さんが歌い、ヒットした。

最後に平尾さんと言葉を交わしたのは昨年12月。電話で健康を気遣う幸重さんに「大丈夫。紅白に出るよ」と語った。2014年4月に開校した市看護専門学校の校歌も手掛けており、幸重さんは「自分の目線を下げて人と接する優しい方だった。岡谷への思いが強く、縁が戻ってきた矢先だったので残念」と悔やんだ。

平尾さんは退院後、古里をイメージした曲を発表し、施設慰問やチャリティー活動を始める。原点は岡谷の自然と人情だったという。

由子さんは、平尾さんと家族ぐるみの交流を続け、コンサートに招かれたり諏訪湖の花火大会を一緒に見たりした。近況報告の電話が頻繁に来た。今年春、「風邪をひいて入院したんだよ」と話す平尾さんに、「気をつけてね」と言葉を掛けたのが最後だった。由子さんは「もっともっと元気で活躍してほしかった」と惜しんだ。

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