名古屋大空襲体験を子孫に 田邊さんが手記

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名古屋大空襲の体験記を手にする田邊さん

あちこちで火の手が上がり、その上を飛ぶ爆撃機が真っ赤に見えた―。戦時中、名古屋大空襲を体験した伊那市高遠町西高遠(美篶芦沢)の田邊昭弘さん(89)が戦争体験記をまとめた。太平洋戦争が終わってからも、B―29爆撃機に追い掛けられる夢を何度も見るほど強烈な体験だった10代の記憶をつづった手記で、子どもや孫たちに伝えようと20冊を製本した。

田邊さんは今年3月、孫娘夫婦の誘いで、72年ぶりに名古屋を訪ねた。街は変わり、下宿があった場所には近代的な住宅が建てられていた。だが、路地はそのままで記憶がよみがえってくる。空襲の時に身を隠した木があった場所はすぐにわかったという。「この辺だ。俺はここにいつも逃げてきたんだよ」と声が出た。きのうのことのように思い浮かぶ記憶を、子や孫たちのために書き残しておこうと思うようになった。

1942年4月、名古屋にある航空機用発動機工場に就職してから、空襲で焼け出され、帰郷するまでの体験記。特に空襲が激しくなった45年の記憶を中心に生々しくつづっている。

夜の空襲のときは、下宿から走り、道路の路肩の1本のケヤキ(と思われる木)の根方に6~7人で頭を寄せ合って身を隠していた。耳を押さえ、目を押さえ、コンクリートの道路に腹ばいになって、空襲が終わるのを待った記憶だ。爆撃が4~5時間続くこともあり、「これで死ぬんじゃないかと思ったことが5回ほどあった。でも、そこだけは奇妙に落ちなかった。20メートル、30メートル先には爆弾や焼夷(しょうい)弾が落ちてるんです。無差別で、どこに落ちてくるかわからない、どこが安全なのかもわからない中で、本当に運が良かった」と振り返っている。

昼間の空襲の記憶も鮮明だった。「50メートルや100メートル横に逃げても、上を見るとB―29がまだいるんです。そして次から次へと編隊で来る。逃げても逃げても頭の上にいるんです。もう逃げることもできずに諦めました」と田邊さん。生きた心地がしなかったその光景は、戦争が終わってからも、何度も夢に見た。

書き上がったのは6月。手書きの原稿26枚と目次を複写し、表紙を付けて7月ごろから冊子にしてきた。「これは太平洋戦争の悪夢ともいうべき思い出。戦争は絶対にしてはいけないということを伝えたい」と話している。

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