シベリア抑留で死亡 春日勘一さんの記録届く

LINEで送る
Pocket

シベリア抑留中に亡くなった春日さんに関してソ連政府が作成した書類に目を通す伊藤輝子さん(右)と福澤文雄さん

戦後の旧ソ連によるシベリア抑留中に亡くなった駒ケ根市東伊那出身の春日勘一さん=当時(33)=に関して、旧ソ連政府が作成した書類の写しが、厚生労働省を通じて長女・伊藤輝子さん(75)=同市東伊那=のもとに届いた。書類は抑留者を管理する目的でまとめた個人記録で、死亡状況や埋葬に関する記述もある。旧満州(中国東北部)にいた日本人捕虜を連行する命令が下り抑留が始まってから23日で72年を迎え、伊藤さんは改めて父の死と向き合っている。

春日さんは1912(明治45)年生まれ。伊那村(現東伊那)農会の技手として働き、農業指導員に選任され単身で渡満。42年に入植した伊南郷満蒙開拓団に参加した。現地で臨時召集され陸軍へ。戦後にシベリアの収容所に送られ、抑留中の45年12月に亡くなった。遺族には2、3年たって死亡の知らせが届いたという。

書類が届いたのは今年7月。厚労省援護・業務課調査資料室によると、多くの抑留者に関する資料がロシア連邦国立軍事古文書館に保管されており、写しがロシア政府から随時提供されている。春日さんの書類も日本側の資料と照合し身元を特定。長野県を通じて書類を郵送した。郷土史家の福澤文雄さん(87)=同市東伊那=によると、東伊那からは9人が満州へ渡ったというが「70年が経過しロシアから情報が入るのは珍しい」と話す。

資料には抑留者の職業や軍での階級、捕虜となった日付など記した調査票のほか、遺体を埋めた場所を示す墓番号を記載した埋葬証書などが含まれていた。墓の存在を初めて知ったという伊藤さんは「ただ土に埋められ墓標なんてないと思っていた。当時のことなのでどのように埋葬されているのか分からないが、いつかシベリアを訪れて墓参りできれば」と願っている。

おすすめ情報

PAGE TOP