2016年4月6日付

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明治生まれで、今は亡き祖父は農業に生きた。田畑を耕して米を作り、牛や鶏を飼った。果樹栽培も手掛け、熱心にリンゴの木を育てた。野良仕事でいつも愛用していたのが、黒一色で、襟に地元の地区名が入った諏訪大社御柱祭の法被だ▼今回の祭りに合わせてなじみの資料館が開いている特別展を訪ねた。展示されていたかつての御柱祭の法被は、黒や紺色といったモノトーンの色合い。簡素さが印象に残った。当時の写真を見ても、地味な色と柄の祭り衣装が一般的だったのだと思う▼時代は移り、氏子がまとう法被は華やかに変わった。こだわりの色を使い、独自のデザインを取り入れている。「人を見るなら諏訪の御柱、綺羅を見るなら小野の御柱」と言われたのは、今は昔である。御柱祭という一つの祭りを多くの色鮮やかな法被が彩る▼法被をめぐる変化はもう一つ。上社エリアでは作る法被が自治体や曳行地区単位より、集落単位が目立つようになった。「統一法被の単位を小さくすることは、集落ごとの誇り、絆をさらに強くしたいという意識の表れではないでしょうか」。そんな解説をしてくれた人がいた▼法被の色合いや作る地区が変わっても、変わらないのが地域のつながりの大切さだろう。同じ法被で祭りに参加して綱を曳けば、人と人の絆が深まる。上社、下社合わせて4幕にわたる諏訪大社御柱祭は、まだ始まったばかりである。

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