無藝荘の火代番 柳澤徳一さんが引退へ

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無藝荘のいろり端で撮影した写真を手に、思い出を語る柳澤さん

茅野市郊外の蓼科高原に滞在し、脚本を執筆した小津安二郎監督(1903~63年)と交流があった柳澤徳一さん(84)=同市湯川=が、蓼科プール平にある小津安二郎記念館「無藝荘」の火代番(ひじろばん)を引退することになった。20代から文人墨客と交わり蓼科の歴史を語り継いできた柳澤さん。「本当に恵まれた人生を送ることができた」と振り返り、語り部としての活動に区切りをつける。

蓼科観光協会が管理する無藝荘は、小津監督が晩年に使用した蓼科の別荘で、生誕100周年を記念して現在地に移築保存し、2003年11月に開館した。柳澤さんは、父徳郎さんが片倉家の山荘(現在の無藝荘)を世話した縁で、家族ぐるみの付き合いをした。生前の小津監督を知る数少ない地元関係者だ。

無藝荘は5~10月に計100日開館し、観光客や別荘利用者、小津映画ファンなど約3000人が訪れる。柳澤さんは開館当初から館長を務めてきた。火代番と名乗ったのはなじみの薄い言葉で会話が弾むと考えたからで、火代と同義のいろり端で映画関係者と酒を酌み交わした小津監督の人柄や逸話を、飾らない笑顔と語り口で伝えてきた。

文化人との交流は20代のころ、村の将来を考える講演を古谷綱武さん(文芸評論家)に依頼したのが始まり。山荘にたびたび招かれては薫陶を受けた。交流の輪は広がり、佐々木基一さん(同)や小堀四郎さん(画家)、中尾彰さん(同)、草野心平さん(詩人)、西川義方さん(医師)など枚挙にいとまがない。

柳澤さんは「蓼科においでになる先生方は本当に品格があった。考え方の基本や生き方を教えてもらった」と述懐する。また「先生方は午前中に自分の活動をして、午後になると集まって夏の蓼科を楽しんだ。地元の旅館もそんな人たちを大事にしていた」と往時に思いをはせた。

ここにきて気力の衰えを感じるようになり、昨年11月の無藝荘の慰労会で引退の意向を伝えたという。「ボランティアに徹する思いでやってきた。感動したと手紙をいただくことが張り合いだった。過去に学び、将来を考え、蓼科をいい観光地にして」と願う。市消防団副団長の経験に触れて「火事を出さなかったことが誇り」と目を細めた。

蓼科観光協会の両角正志副会長(64)は「徳一さんは無藝荘の火代番だけでなく蓼科の歴史と文化を知るご意見番。いろいろなことを教えていただいた」と感謝する。

火代番は後任に引き継がれ、希望者も募っている。

問い合わせは同協会(電話0266・67・2222)へ。

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