小平輝く「金」 スピード女子史上初

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スピードスケートで日本の女子選手が初めて冬季五輪の舞台を踏んだのは、1960年米国スコーバレー大会。以来58年間にわたって延べ約100人の選手が世界の頂点に挑み、はね返された。その高くて厚い壁を乗り越えたのは、やはり日本が世界に誇るエース。小平奈緒が、日本女子スピード界の歴史を動かす金メダルをつかみ取った。

原点は、父や2人の姉とともに訪れた茅野のリンク。3歳の冬だった。記憶に残るのは、「ポンと置いとかれた」こと。手取り足取り教わったわけではないが、懸命に脚を動かしてみた。やがてたどたどしくも進めるようになると、今度は風を切って目の前を通過する小学生たちに目を奪われる。「私もあんなふうに滑ってみたい。どうしたら速くなれるんだろう」

その思いは31歳となった現在でも抱き続けている。どうすればより速く滑れるのか。一つの課題をクリアしたら次のステップへ。28年間、その繰り返しだった。毎晩営業終了時間まで茅野のリンクで滑っていた小学生時代も、27歳でオランダへの単身留学を決断した時も。モットーは「日々、自分超え」。根っこは何一つ変わっていない。

名前を呼ばれても親の後ろに隠れてしまうほど内気だった幼少期。今でも目立つのは苦手だが、3度目の五輪は日本選手団の主将という重責を担って臨んだ。124選手の代表として、それぞれの舞台での各選手の活躍を願い、「百花繚乱」をテーマに掲げた。文字通り、日本勢の躍進が目立つ今大会。その中にあって、小平が江陵のリンクに咲かせた花は、ひときわ目を引く大輪だろう。

1998年の長野五輪。500メートルで男子金メダルの清水宏保や女子銅メダルの岡崎朋美の滑りに心を揺さぶられた当時11歳の少女は、20年の時を経て世界の先頭を走る選手へと成長を遂げ、日本中に感動を与えた。「メダリストが見ていた景色を今度は私が見てみたい」。たゆまぬ努力の果てに立った表彰台の頂点。その目に映った光景は、きっと格別だったに違いない。

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