小津監督らが愛した一本桜 山荘仲間ら観桜会

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一本桜の前で地酒を酌み交わし、和やかに語らう長井さん夫妻(中央の2人)

日本映画の黄金期を支えた小津安二郎監督(1903~63年)と脚本家の野田高梧さん(1893~1968年)が足繁く通った茅野市蓼科高原の「一本桜」で10日、観桜会が行われた。地元関係者や蓼科の山荘仲間など約15人が集まり、小津監督のおいで鎌倉市在住の長井秀行さん(80)、眞佐子さん(78)夫妻を囲み、和やかに映画や人生を語り合った。

小津、野田両氏は、晩年の小津作品の脚本を蓼科高原で手掛けた。当時好んで通ったのが丘の上にある一本桜で、映画「早春」(56年)の題名はここで決まった。

長井さんは62年4月、新婚旅行で蓼科を訪れ、一本桜の前で小津監督と写真を撮っている。観桜会は長井夫妻の希望を受け、蓼科観光協会無藝荘運営委員長の藤森光吉さん(71)=茅野市湖東=と、小津、野田両氏が残した「蓼科日記」の刊行会事務局長を務めた北原克彦さん(70)=原村=が中心となり、昨年5月12日に初めて開かれた。

2年目の今年も、小津監督と野田さんに敬意を表してダイヤ菊で乾杯。一本桜の見頃は過ぎていたが、藤森さんの手料理やちまきに舌鼓を打った。

長井さんは「地元の方にはお世話になるが来年もまたやりたい」とあいさつ。取材に「青春の思い出、おじの思い出がいっぱい詰まっているのが蓼科です。一本桜や無芸荘を大事にしてもらえたら」と語り、映画祭を「楽しみにしています」と笑顔を見せた。

一本桜は標高約1400メートルにある樹齢百年ほどのヤマザクラ。同協会と市は2013年、野田さんの長女山内玲子さん(故人)から聞き書きした「小津の散歩道」のモデルルートを設定。16年には間伐を進め、小津監督が昭和30年代に見ていた蓼科山の眺望を復活した。根元への立ち入りを防ぐ柵も設置するなど、保護活動にも力を入れている。

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