伊那県成立150周年 飯島町に県庁 

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伊那県政の目指す方針が記された「伊那県布令書」の版木と二分金(飯島町歴史民俗資料館所蔵)

「皆さんはその昔、飯島町に信州初の県『伊那県』の県庁が置かれていたことを知っていましたか」―。飯島町歴史民俗資料館・飯島陣屋を施設見学に訪れた来館者に対して、同資料館学芸員で館長の丸山浩隆さん(50)が優しく語りかけた。1868(慶応4)年、鳥羽伏見の戦いで薩長軍が江戸幕府に勝利し、それまでの幕府領は明治新政府の管轄になった。全国の旧幕府領は府・県とされ、信州では「伊那県」が誕生。県庁は同町の代官役所「飯島陣屋」に置かれた。伊那県成立は同年8月2日で、2018年は150周年の節目の年になる。

倒幕後、幕府の在地支配機構だった飯島陣屋は解散させられ、信州の行政はとりあえず尾張藩が代行することに。そして、この年の8月2日、公家北小路俊昌が知県事(県知事)に任命され、伊那県が誕生する。9月には慶応から明治に改元し、明治時代が到来。次々に県の役人が決まると69(明治2)年半ばまでに伊那県の政治体制は整った。

伊那県は飯島を本庁に塩尻(塩尻市)、御影(小諸市)、中之条(埴科郡坂城町)、中野(中野市)に支局を置き、さらに三河に県域を広げて足助(愛知県豊田市)にも支局を設けた。石高は最大で32万石。しかし、その後は二分され、71(同4)年に廃藩置県の詔が出されると同年11月に府県統合で廃止された。

丸山さんは「伊那県は住民本位の行政を目指した」と語る。象徴する出来事が「伊那県商社事件」という。

69年、偽金の「贋二分金」が世にはびこり、庶民の生活を直撃した。伊那谷への流入は全国の約2割といわれ、飯田を最初に各地で暴動が起きた。政府は偽金回収のために、偽金100両と政府が発行した紙幣30両の交換を命じたが、伊那県はその命を破り、偽金と紙幣を等価交換したのが事件の発端だ。

等価交換で困窮した庶民は救われるが、回収が進めば進むほど伊那県の負債は膨らんだ。同年「伊那県商社」を設立し、損失穴埋めの策としたがあえなく失敗。政府が禁止した外国からの借金に踏み切るも、返済できず県の租税金を流用した。70(同3)年、不正が発覚。北小路知県事らが失脚し、伊那県が二分されて北部は中野県になった。

飯島町教育委員会は150周年記念として、京都市から同町まで約280キロを12回に分けて歩く「信州いいじま 伊那県ウォーク」を昨年5月に始めた。北小路知県事が京都から着任した史実に基づく催しで、約40人が参加。現在第9回まで終わり、出発点から約210キロの岐阜県中津川市まで進んだ。9月に記念事業の一環で講演会も開く。

丸山さんは「住民が主役の新しい世の中に変えようと頑張った伊那県庁の役人たちが、飯島にいたことを知る機会になれば」と話している。

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