2018年05月28日付

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休みを利用し、緑を求めて茅野市郊外の蓼科高原まで足を運んだ。日差しを避けて林の中を歩くと、木の香り成分が血中に取り込まれたのだろうか、心身ともに癒やされた。多くの文人墨客がこの地に魅せられたのも分かる気がした▼蓼科を愛した文人の一人に千葉県生まれのアララギ派歌人、伊藤左千夫がいる。「老いては蓼科に籠もらん…」との思いを抱いていたという左千夫が「蓼科山歌」を書き残したのは1909(明治42)年8月のことだ。この地で、多くの秀作が誕生したことだろう▼蓼科の静ひつな自然をこよなく愛した著名人といえば、日本映画界の巨匠、小津安二郎監督を忘れることはできない。盟友の脚本家、野田高梧の別荘「雲呼荘」のあった蓼科に晩年は仕事場を移し、没するまでの7作品すべてのシナリオをこの場所で書いたという▼蓼科での小津監督の活動拠点となった山荘「無藝荘」は記念館として保存されている。来館者をもてなす“火代番”として長年活躍されたのが、小津監督とも親交のあった柳澤徳一さん(84)。監督の飾らない人柄やエピソードを小津ファンらに語ってきたという▼柳澤さんは昨年限りで火代番を退かれ、同市で先ほど記念講演があった。小津監督ら蓼科を愛した多くの文人と交流してきた貴重な体験を、こうして地元に語り継いでくれるのは素晴らしい。美しい自然も魅力的な人々も地域の財産だ。

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