ヘルシンキの渡邉家住居 記念の銘板設置へ

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世界的な指揮者として活躍した渡邉暁雄さんとジャーナリストの兄忠恕さんが幼少のころ、岡谷市出身の父忠雄さんとフィンランド人の母シーリさんと共に住んだフィンランド・ヘルシンキの家が見つかり、記念の銘板が付けられることになった。日本とフィンランドの架け橋となった彼らの業績を顕彰し、家の壁に設置される。12日、親族や日本大使、ヘルシンキ文化庁長官、教会関係者らのほかシベリウスの孫も出席して除幕式が行われる。

渡邉暁雄さん(1919~90年)は日本フィルハーモニー交響楽団の創設に尽力し指揮者として活躍。シベリウスはじめ多くの北欧の楽曲を日本に紹介した。兄忠恕さん(1915~94年)は諏訪市で生まれ、共同通信記者、役員のほか欧州でジャーナリストとして活躍した。架け橋の端緒となった父忠雄さん(1888~1944年)は岡谷市長地生まれ。フィンランドへ渡り牧師として宣教活動をしている時シーリさんと出会い結婚した。

帰国後、諏訪の教会に赴任中、長男忠恕さん、東京で二男暁雄さんが誕生。1921年、シーリさんは幼少の子供たちを連れてフィンランドへ里帰りし、翌年、彼らを追って忠雄さんもフィンランドへ渡った。今回見つかったのは23年に一家が住んでいたヘルシンキの家。

シーリさんの甥にあたり、東洋の歴史を研究している人類学者、イルマリ・ヴェステリネンさんがこの家を見つけた。52年に忠恕さんから渡された一枚の写真がきっかけになった。イルマリさんは写真の意味が分からず保管していたが、最近になって、後ろに写る建物が、一家が住んでいたアパートであることが判明したという。

忠恕さんの長女英美さん(71)=デンマーク在住=は「父は1952年のヘルシンキ・オリンピックに取材で行き、この場所を探し出したのだと思う。子供のころ遊んだブランコを懐かしがって写真に撮ったのではないか。忠恕も暁雄もヘルシンキに来るたびにこのアパートを見に来ていたと聞いている」と話し、銘板設置を喜んでいる。

除幕式ではイルマリさんや英美さん、日本大使らが挨拶し、フィンランド人尺八奏者が演奏する。忠恕さん、暁雄さんの子供やいとこ、その子供や孫などが集結し、忠雄さん一家の業績を偲ぶイベントとなる。

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