2018年06月10日付

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東京ドームの敷地内に「鎮魂の碑」と刻まれた石碑がある。戦前のプロ野球で活躍しながら、戦火に倒れた選手の名前が並んでいる。沢村栄治(巨人)、景浦将(阪神)ら、草創期のプロ野球を支えた名選手たちに交じり、中村三郎さんの名前がある▼1930(昭和5)年の夏の甲子園大会で準優勝した諏訪蚕糸学校(現岡谷工業高校)のエースだった人だ。同校硬式野球部100周年の記念誌「球道」によると、中村さんは明治大学を経て名古屋軍(現中日)などプロ野球3球団で投手、内野手として活躍した▼その年の諏訪蚕糸は強かった。2度目の出場ながら、松山商、平安中といった強豪を破り、決勝に進出した。連覇を目指す広島商に惜しくも敗れたが、娯楽の少ない当時のこと。地元の熱狂ぶりは想像するに余りある▼甲子園を沸かせた諏訪蚕糸の選手たちだが、時代は戦争へと進む。過酷な運命が彼らを待っていた。中村三郎さんだけでなく、一塁手で控え投手の中村好男さん、遊撃手の金子博茂さん、右翼手の小松茂博さん…。レギュラーのうち4人が戦死または戦病死している▼高校野球夏の全国大会が始まったのは、1915(大正4)年。戦争による中断はあったが今年が100回目となる。若者がボールを捨てて二度と戦場に赴くことなく、150回、200回と続いてほしい。長野大会の組み合わせは23日。球児の夏がやって来る。

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