2018年06月21日付

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例えば宝石のように、その希少性を多くの人が知っているようなものには、普遍的な価値があるように思う。同じ「宝」の字を使っていても、「お宝」と称するものの中には人によってその価値を感じたり、感じなかったりするものがある気がする▼宮田村老人福祉センターの階段の壁に、「宮田村でできる豊かな暮らし」のタイトルで写真と活動紹介が飾られている。村内にあるさまざまな人と人のつながりを発掘し、「地域のお宝」と呼んで広く紹介する取り組みで、地域の支え合いのもとになるお宝活動として村長が認定証を交付している▼張り出された認定事例の中には「散歩」という活動もあった。散歩自体は珍しいことではない。「お宝」に認定されたのは、自分自身の健康維持のための散歩が、途中の立ち話や友人宅への立ち寄りによって地域の見守りになっているからだそうだ▼今年2月に行われた地域のお宝大発表会。長年にわたって一緒に散歩を続けているという2人の女性の活動を、「ただ散歩しているだけだと思ってはいけない。こういう暮らしぶりが健康長寿につながり、お互いのことを気にし合う『見守られ活動』だ。こういう関係性は大事」と評価していたのを思い出した▼何でもない活動でも、そこに意義を見いだすことで「お宝」になるものだ。地域資源の発掘も同じで、その魅力を多くの人に知ってもらえば宝石にもなる。

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