写真屋人生にピリオド 老舗カメラ店が閉店へ

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12日で店を閉める藤森カメラ店の藤森賢一さん

諏訪市の老舗カメラ店、カメラのフジモリ(藤森カメラ店)城南店が今月12日で閉店する。高齢となった社長の藤森賢一さん(77)が父親の代から70年余にわたり経営してきた専門店。フィルムからデジタルに時代が移り変り、身体を壊したことも重なって「ちょうど潮時」と”写真屋人生”にピリオドを打つ。デジタル化でプリントする人が減り、アルバムを作る人も見かけなくなった。データの消去も簡単にできる。「写真を記録として残す文化は終わったのかね」と寂しさもにじませる。

藤森カメラ店は、戦後間もない昭和21(1946)年、財閥解体で片倉財閥のカメラ資材部門を引き継いだ賢一さんの叔父、豊一郎さんが、東京の新橋に資材問屋「美篶(みすず)商会」を開いたことに始まるという。弟で賢一さんの父親、輝雄さんに「諏訪でも店を開いて」との依頼があり、中部電力を辞めて同市諏訪1の並木通り入り口に開業した。

諏訪地方にはヤシカ(現京セラ)、三協精機製作所(現日本電産サンキョー)、チノンなど光学機器メーカーが相次いで産声をあげ、疎開企業のオリンパスもあった。レンズ産業も日東光学をはじめ次々と勃興。精密工業地帯として、その象徴たるカメラは「面白いように売れた」という。賢一さんも家業を継ぐ目的で日大芸術学部写真学科に進学。卒業後、数社で修行して帰郷。家業に専念した。

地元に大手メーカーがある強みを生かし、最盛期には諏訪地方で写真プリントを主体に7店を展開。修理などのサービスも請け負い、流行の8ミリカメラも扱った。愛好者のグループも組織し定期的な撮影会も企画している。

しかし1990年代、デジタルカメラ(デジカメ)の波が押し寄せる。家電量販店にカメラが並び、写真プリントも自宅でできる時代に。「今、フィルムカメラを作っているメーカーは一つもないよ」と賢一さん。中古品も扱うが、ほとんど動きはなく、フィルムを置いているのも同店と、次男が経営する別法人の関連店(茅野市)のみだ。最盛期、御柱祭などもあり「その忙しさは大変なものだった」と懐かしむ。

一昨年、体調を崩した賢一さんは店に出ることも少なくなった。気が付けば店を引き継いでから半世紀余が過ぎていた。

写真文化に携わってきた人生。最近気になるのは、携帯電話やスマートフォンで気軽に画像撮影ができる半面、プリントして写真の保存をする人が減っていることだ。写真共有アプリ「インスタグラム」、写真メールでデータを送り合い、コミュニケーションの手段とはなっているが、アルバムを作り保存する人がいなくなったという。アルバム本体の販売もなくなった。賢一さんは、中古のフィルムカメラを置く棚を覗き込みながら「写真は人生、家族の記録を残すものだったんだがね」とつぶやいた。

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