伊那県の挑戦振り返る 当時の県庁で講演会

LINEで送る
Pocket

飯島町内外から訪れた50人以上が耳を傾けた講演会

飯島町教育委員会は17日、「伊那県発足150年記念講演会」を町歴史民俗資料館・飯島陣屋で開いた。前県立歴史館学芸部長で、飯田OIDE長姫高校教諭の青木隆幸さん(61)=飯田市=が「伊那県から考える『西郷(せご)どん』の時代」をテーマに講話。町内外から訪れた53人が、伊那県の歴史への理解を深めた。

信州初の県「伊那県」が成立してから150年を記念した事業の一環で、1868(慶応4)年8月2日(新暦の9月17日)、当時の県庁が飯島陣屋に置かれたことに合わせて実施。青木さんは伊那県を考えるうえで重要事象として「伊那県商社事件」を取り上げた。

明治時代初期、偽金「贋二分金」が全国で出回り、全体の約2割が伊那谷に流入。民衆の生活は崩壊し、69(明治2)年には飯田から始まった暴動が全国に広がった。騒動に対応するため、明治政府は贋二分金百両を金札三十両と交換する命令を下す。しかし、伊那県は命令に背き、贋二分金百両と正金百両の「等価交換」を実施したという。青木さんは「伊那県が30円の価値の商品を100円で買うようなもの」と説明した。

伊那県は県営企業「伊那県商社」を立ち上げて負債の穴埋めを図ったが失敗。政府が禁止していた外国からの借金に手を出したものの、返済に行き詰まって租税金を流用した。70(同3)年に不正が発覚し、北小路俊昌県知事らは失脚した。

青木さんは、伊那県には「民衆のための世直し」「徳川幕府の圧政からの民衆の解放」を目指した「御一新」に憧れた人々がそろっていたことから、等価交換は譲れない一線だったと指摘。「等価交換に伊那県の栄光と悲惨があった」とし、「150年という年月は『歴史のかなた』というには生々しすぎる。伊那県の挑戦を振り返ることが必要ではないか」とまとめた。

おすすめ情報

PAGE TOP