茅野市御狩野区の開拓史 「歩み」発刊

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発刊した「御狩野区の歩み」を手にする平林安区史編纂委員長(右)と賀来春樹区長

茅野市御狩野区は区の歴史をまとめた小冊子「御狩野区の歩み」を発刊した。準備会発足から10年を経て完成した。戦後の食糧難で国の緊急開拓事業を受けた金沢村(現同市金沢)が村有林を開拓用地として開放し、満州(中国東北部)からの引き揚げ者などが開墾したのが同区の始まりとされる。今では入植1代目はわずか1戸となり、当時の厳しい開墾作業や生活ぶりを知る人はわずかだ。区史「歩み」は貴重な「開拓史」ともなっている。

■当初農業は生きるため

昭和20年代、同30~40年代など10年単位で年代別に構成する。最初の入植が始まったのは1946(昭和21)年。20人に1戸1.3ヘクタールの開拓権が与えられたという。その後も入植は続き54(同29)年までに32戸になった。「歩み」によると、「開墾作業の実際は、先ず林を切り払い、木の根を取り除く手作業が中心であった」、「開拓の当初は生きるための農業であった。開拓地での作物はこの地域の水系が少ないため畑作だけが行われ、米作は困難…」だった。

泥道を整備するため「(昭和)22年当時、年間20日位の出払いで各戸から木製のリンゴ箱2箱の小石が提供された」とし「住まい造りも、共同で伐採した材木で柱や板を作って配布し、建具に至るまですべてが手づくりであった」と伝える。

区史編纂委員会委員長の平林安さん(76)は父藤重さん(故人)と45(同20)年に宮川村(現同市宮川)から入植した。当時3歳。「冬、雪が背丈までも積り金沢小学校へは雪をかき分けて行った。(家の明かりとなる)ランプの掃除をしたことも覚えている。楽しいことは全くなく苦労ばかりだった」と振り返る。

■移住者増加 県外からも

転入者が増え始めたのは98(平成10)年前後から。中央道諏訪南インターが近くにあり、八ケ岳が望める眺望の良さが受けたとみられ、県外からの移住者もあった。区長の賀来春樹さん(50)もその1人で、96年に富士見町から移り住んだ。同区には今年、78戸約200人が暮らす。

入植2代目となる平林さんは「苦労続きの御狩野には開拓の汗と血がにじんでいる。『歩み』でこの苦労の歴史を次の世代に伝えてもらえれば」と望む。

■先人の思い次の世代に

賀来さんは「入区したときは区民が温かく迎え入れてくれた。きっと開拓した人たちの団結力が区内にあるのではないか」とし、「自分の子どもにも御狩野の先人たちの思いや歴史を引き継いでいければ」と話す。

A5判、254ページ。200部作った。「歩み」の問い合わせは平林さん(電話0266・72・0363)へ。

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