70年大阪万博「ラオス館」が霧ケ峰に

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1970年大阪万博のラオス館を移築した昭和寺。ラオス伝統建築を今に伝えている=諏訪市の霧ケ峰

2025年、大阪で再び国際博覧会(万博)が開かれることが決まった。日本で最初の万博は1970年大阪府吹田市で行われ、開催後にパビリオン(展示館)の一つ「ラオス館」が諏訪市郊外の霧ケ峰に移築された。超宗派の仏教寺「昭和寺」だ。当時各国から多種多様なパビリオンが100以上出展されたが、半世紀近くを経て現存は数少ないという。強清水入り口の木立に囲まれた色彩豊かな建物は、経年劣化はあるもののラオスの伝統建築を今に伝えている。

ラオス館を移築し昭和寺を建てたのは、諏訪市諏訪2で履物卸問屋を営んでいた山崎良順さん(1906~96年)さん。山崎さんは大谷大学、大正大学で学び、日中戦争時は中国へ渡った。終戦後は戦友、仏教関係者らと戦没者や国際平和のために活動、戦乱のあった国内外の地に観音像を贈っている。

現在山崎家を継ぐ四女康子さん(71)=同市諏訪2=によると、大阪万博でも平和観音像の建立に向けて発起。万博協会の石坂泰三会長、鈴木俊一事務総長らにそれまでの活動が認められ、会場内の休憩所庭に高さ3メートルの観音像の建立が許可された。

ラオス館移築は、この観音像を本尊にした寺院を建てたいと、山崎さんがラオス国に願い出たことに始まる。同国の伝統建築ワット・シサケット文庫を模したパピリオンは、19世紀ラオス建築の完全な再現といわれ、会期中は大勢の人でにぎわった。同国の理解が得られ万博終了後霧ケ峰に移築された。戦争犠牲者慰霊と世界の悠久の平和を願う超宗派の「中観山同願院昭和寺」として現在に至っている。

長年の風雨で戸板や塗装ははげ外観は劣化しているが、三層の屋根が重なりその上に尖塔が立つ姿は、万博当時の雰囲気をそのまま伝えている。本堂内部は落ち着いた雰囲気を醸し、中央に本尊の金色平和観音像が安置されている。「ラオスの夜明けの象徴」と記された「木鐘」、古い木彫りの釈迦像、精密な彫刻を施した正面出入り口用ドアなどもある。

住職は長年山崎さんが務め、現在は孫の入来院大圓さん(51)が引き継ぐ。都内の浅草寺に勤務しながら毎年夏に戦没者の法要と世界平和の祈願を行っている。入来院住職は「今日の世界情勢から昭和寺の役割は大切と思う。建立当時の関係者は少なくなって課題は大きいが、新たな理解者の輪を広げて先代の意向をくんだ道を開き、貴重な建物を護ることに努めたい」と話している。

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