平和を守り抜くこと 飯田さん今年も法要参加へ

LINEで送る
Pocket

太平洋戦争末期の1945年6月10日、アメリカ空軍の爆撃で土浦海軍航空隊の予科練習生ら281人が戦死した茨城県土浦市で10日、戦友や遺族が71回忌法要を開く。犠牲者のうち諏訪地方出身者は10代の7人。このうちの一人は、当時諏訪中学(現諏訪清陵高校)3年を修了した17歳の飯田福平さん。福平さんの兄で諏訪市高島1の飯田悦司さん(90)=戦争はいやだ、平和を守ろう会会長=は、「亡くなった人々や弟の供養は平和を守り抜くこと。生きている限り供養したい」と、今年も法要に参加する。

福平さんは中学3年の時に予科練を志願。土浦海軍航空隊に配属され、敗戦の2カ月前に特攻基地への転出が決まった。爆撃があったその日は、特攻少年らの最後の家族面会指定日だった。諏訪からも福平さんの母親きよのさん、姉のなかさんが土浦市に向かったが、面会外出の直前から集中爆撃が始まり、会うことはかなわなかった。

亡くなった人たちは、近くの海軍適性部(現土浦第三高校)の庭でだびにふされた。遺骨は遺族に引き渡されたが、隣にあった法泉寺の住職が残骨を境内に葬り供養した。

その後、戦友らが「土浦海軍航空隊戦没者法要委員会」を結成、法要を毎年6月10日前後に同寺で開いている。悦司さんは両親に代わって33回忌から毎年欠かさず出席。50回忌を前に「遺族も法要委員会に参画させてほしい」と提案。参加者全員の賛同を受け、節目の回忌には戦友、遺族ら1000人余が全国から参集した。

近年は関係者の高齢化が進み、昨年の参加者は50人余りだった。悦司さんは「期待されていた弟の入隊に、両親は賛成しなかった。予科練に入る承諾書に印を押したのは自分だった」「すでに90歳を超えて体力の衰えを実感するが、生涯供養し続けたい。平和を守るために」と、71回法要に際し決意を新たにしている。

おすすめ情報

PAGE TOP