飯島町へ恩返し 地域おこし協力隊の吉田さん

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飯島町の子どもたちにソフトテニスを指導する吉田茂さん(左)

東日本大震災と原発事故で被災し、2011年6月から翌年2月にかけて福島県南相馬市から飯島町へ避難していた吉田茂さん(60)が昨年7月、地域おこし協力隊として同町に着任した。ソフトテニスで過去に女子実業団チームの監督を務め、昨年まで福島県連盟の強化委員長だった経験を生かし、スポーツ観光交流事業を担当している。「3・11」から8年の今もトラウマとなって震災の記憶がよみがえるが、傷んだ心を癒やしてくれた飯島町へ「恩返ししたい」と7年ぶりに戻ることを一念発起。「(被災者に根付く)支援に対する感謝の気持ちが私に決意させてくれた」と前を向く。

震災当時はソフトテニスのスクール事業の打ち合わせで栃木県宇都宮市にいた吉田さん。混乱の中で3日後に南相馬市へ戻ったが、その後は福島市内の避難所を転々とした。経営する学習塾で教えるために南相馬市まで1時間半かけて通ったが、50人だった塾生は4人に減り震災後1カ月で廃業した。

スポーツ少年団で最初に指導した教え子の女性が、32歳の若さで津波で命を落とした。2人目を出産し、3月に仕事に復帰したばかりだった。「味わった人じゃないと分からない。けどそれが日常だった」。たびたび通った安置所では、変わり果てた遺体も見慣れるようになっていった。

身辺の整理もめどが付いたことに加え、誘われたこともあり大学時代の同期が果樹園を営む飯島町へと移った。町の臨時職員として働きながら暮らした8カ月間はストレスから解放され、人の温かさや豊かな自然環境が悶々(もんもん)としていた心を晴らしてくれた

12年春に南相馬市へ帰り、市内の生涯学習センターで所長を務めた。各種講座の運営や地区行事の企画支援などを担い、被災した多くの住民に寄り添った。「いろいろな人をつなぐ中で世話になったことへの感謝の気持ちに気付かされた」。

そんな思いを持ち、世話になった飯島町で恩返しの生活が始まった。協力隊員として、スポーツ各種競技の合宿誘致やスポーツ少年団との交流に向けて活動を展開し、ソフトテニスでは町内の小中学生を週4回指導している。

「福島の勝てない選手たちを勝てるように育てた昔を思い出す。2027年に長野県で開かれる国体に飯島から選手を輩出するのも夢」。震災がなければ暮らすことがなかった飯島町で、新たな目標が芽生え始めている。

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