2016年06月19日付

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文学賞は数限りない。作家の名を冠したり、選考者を一工夫したりして特色を出す。知名度の高さでは芥川賞、直木賞が一番だろう。創設80年余りの長い歴史を持つ▼ぜひ次の芥川賞は私に―。作家の太宰治が芥川賞の選考委員だった佐藤春夫に送った新たな手紙が昨年見つかったそうだ。第1回の芥川賞で候補になりながらも受賞を逃した。そこで第2回は私に、という懇願だったらしい。しかし、受賞することなく、やがて自ら命を絶った。1948年6月13日。38歳▼その能力を高く評価し、熱心に面倒を見ていた一人が塩尻市出身で筑摩書房創業者の古田晁である。心身ともに疲弊していた太宰を心配し、転地療養させる準備で信州の実家へ帰っていたさなかに、大宮市にあった古田の住まいを太宰がふらりと訪れたのだという。死の前日だった▼「最も深く心を許していた親友古田晁に、それとなく最後の暇乞いに行ったのだろうか」「『会えていたら、太宰さんは、死なんかったかもしれん。』(略)痛恨の思いが、古田にはあったのだろう」(野原一夫「含羞の人」)。もし二人が会っていたら、文学史はどう塗り替えられたか。振り返れば大きな分岐点だった▼玉川上水に入水6日後の19日に遺体は見つかった。きょうは「桜桃忌」。多くのファンが三鷹市の墓前を訪れるのだろう。信州ゆかりの出版人との縁にも思いをはせながらしのびたい。

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