考想・諏訪湖 5、沖野外輝夫さん

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諏訪湖への思い、諏訪湖を良くしようと一緒に活動する仲間への思いなどをにこやかに語る沖野さん

 諏訪湖をフィールドに研究活動に励んだ信州大学を退任後も地域住民と共に湖と向き合い続けている。諏訪湖の環境保全に取り組む「諏訪湖クラブ」の会長などを務め、必要とあれば真夏の炎天下でも湖上に向かう。よほど諏訪湖が好きなのだろうと尋ねると「それもあるけど、諏訪湖に関心と情熱を傾ける諏訪の人たちに興味があるかな」とにこやかな表情で答えた。
 東京都出身。都立大、同大学院、資源科学研究所で関東の河川や湖沼を対象に研究や環境調査を重ねた。諏訪湖とのかかわりは大学院時代にアオコを研究テーマとしたのがきっかけ。諏訪湖は当時、国際共同研究の研究水域の一つに選ばれており、都内から通い、研究にいそしんだ。民間の大手シンクタンクに就職し、一度は諏訪湖の研究からは離れたが、研究所時代に指導を受けた恩師に誘われて信大に移り、諏訪に移住した。「現場に出る方が自分には合っているんだよね」。
 諏訪湖は1960年代からの高度経済成長期に伴う産業発展や都市化の進展で工場や家庭からの排水が流れ込み、汚濁が進んだ。窒素やリンなどを栄養分とするアオコが異常発生し、水質が急激に低下した。県は65年に学識経験者を集めて諏訪湖浄化対策委員会を立ち上げ、69年にしゅんせつを開始、72年には諏訪湖流域下水道が着工した。研究関係では65~68年に県と信大の調査・研究に続き、67~73年には国際生物学事業計画の研究対象湖沼になるなど研究が進んだ。中学生らによる湖畔清掃も始まった。アオコの異常発生は抑えられ、水質は回復基調に乗った。しかし、水質に偏った対策と「利用」に視点を置いた沿岸域の開発、人工化は自然湖沼でありながら「親水性」とはほど遠い景観をつくり、住民が思い描く諏訪湖像とは離れていった。
 打開のきっかけは、住民団体が主導して始まった「日独環境まちづくりセミナー」だったと沖野さんは考えている。諏訪湖の湖岸は 年までにほぼ全域が人工的なコンクリート護岸で囲まれていた。第1回セミナーは89年5月に5日間の日程。その後、91、93年と開かれ、2002年5月の第4回で締めくくられた。ドイツに学ぼうとしたのは産業化が日本よりも早く、環境問題の表面化や対応策も先を行っていたため。ドイツの研究者から見たら、諏訪湖は日本の内陸の小さな湖で当初は協力に消極的だったというが、「ちょっとやそっと反対されてもめげない諏訪人の根性が研究者の心を動かした」と沖野さん。住民の熱意がセミナー開催への道を開いた。
 第3回は関係者がドイツに赴いて開催。住民、行政、専門家が共に先進事例を視察した経験は帰国後の連携強化につながった。湖畔にはウオーキング愛好者、親子連れ、高齢者の姿が見られるようになり、木々も増えた。沖野さんは「このようなセミナーでは果たされることが少ない口約束を諏訪の人たちは真面目に形にした」と評価する。
 教授退任後も諏訪湖を良くしようと願う多くの人が沖野さんを頼り、沖野さんもまた一緒に研究を続けている。諏訪湖クラブが昨年まで実施した酸素を含んだ超微細気泡「ナノバブル」の水を湖底で放出し、夏場に起きる湖底の貧酸素状態と底質の改善実験は住民主導で始まり、今年度は県が事業化した。
 諏訪湖の研究に尽力した自らを「諏訪に住み込んだ研究者」と振り返る沖野さんは「地方の大学の研究者は地域の人と密接にかかわっていかなければいい研究はできない」と語り、「私は諏訪に来る選択をして本当に良かった」と実感を込めた。

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