列島縦断あるき旅 石川文洋さん

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3500キロの歩き旅を振り返る石川さん

日本の最北端・北海道宗谷岬から郷里の沖縄県那覇市まで、「平和を願う 日本列島縦断3500キロのあるき旅」に挑戦した、諏訪市尾玉町の報道写真家石川文洋さん(81)。昨年7月9日から今月8日まで11カ月掛けて踏破した。この間、心に触れた場面でシャッターを切り続けその数は3万5000枚に及ぶ。諏訪に戻り「旅の疲れは多少ある」というが、柔和な表情に充実感を漂わせ、「傘寿のチャレンジ」を振り返ってもらった。

石川さんは民間カメラマンでは世界で初めて、南と北のベトナム戦争最前線を撮影。長年にわたり沖縄が抱える今日の課題も広範囲に発信している。

列島縦断は65歳のとき、日本海沿いをひたすら歩き通した。今回はその後発症した心筋梗塞を気遣いながら早めに就寝、翌朝は午前5時から前日のメモを整理しその日のコースを確認、荷物やカメラの整備をして8時過ぎにスタート。1日15キロのペースで歩き、日曜日は宿にこもって執筆に集中した。

海岸や山岳の裾野の雄大な風景、人々の暮らしに立ち止まり、以前から興味のあった東海道では所々残された宿場町の光景に目を細めた。沖縄は16日間掛け、東西の海岸を3回行き来した。

こうした道中で東日本大震災や阪神・淡路大震災、西日本豪雨、熊本地震などの被災地の今をできるだけ取材。帰還困難地区となっていた福島県双葉町では、防護服を着て家の整理に帰る地元民に同行、「『ふるさと』の歌がつら過ぎることが分かり、国策による原発の後遺症は想像以上だった」。倉敷市では泥にまみれた写真を薬剤で洗い、被災者に戻す活動を知った。

石川さんは自宅で時計跡の白さが際立つ腕を見ながら、「解放感が伴う徒歩の旅は心身の健康に通じ、感動の連続だった」といい、「体調と天候で歩きを止めたことは一度もなかった」と周囲のサポートに感謝。縦断中も節目の地点から戻って諏訪赤十字病院で定期検診、万が一に用意してもらった「紹介状」は、一度も開封することなくよれよれになっていた。

各地で何人かの友人や支援者らと再会、ゴールでは100人余が迎えた。その一人小林義雄さん(71)は諏訪市尾玉町に住む。宗谷岬で見送り、静岡県や京都府の一部を同行、那覇で到着を待った。

石川さんは知り得た情報や改めて実感したこと、撮りためた写真は、「これからの社会に生かしたい」と、穏やかな口調の中に強い意志を伝えている。

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