2019年8月11日付

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きっと帰ってくる―。五つの女の子にとって、あてもなく父を待つ日々はどのような時間だったのだろう。結局父が戻ったのは7歳になってから。大きかった父は、小さな骨壺に納まっていた▼「学校に上がる頃には帰ってくるからな。いい子でおれよ」。出征を見送った際に掛けられたこの言葉だけが、今も残る父の記憶。父がいない生活は寂しく心細かったが「お国のために頑張っている」と自分に言い聞かせた▼父は中国河南省で陸軍架橋材料部隊の兵長として従軍し、頭に銃弾を受け命を落とした。享年36歳。後日父の同僚から、馬をかばって犠牲になったと伝えられた。8月13日。太平洋戦争終戦まで、あと2日だった▼この春、父が身に着けていた日章旗が、74年ぶりに駒ケ根市に住む長女の元へ戻ってきた。元米兵の孫が、米国のNPOを通じて返還を申し出た。日の丸に寄せられた名前に見覚えはなく、父の筆跡も分からない。それでも、あのころの記憶がよみがえるような感覚を覚えた▼日章旗の主は櫛田正一さん。80歳になった娘の正子さんは旗を手に「何とも言えない」と繰り返し、「お父さんが帰ってきたようでうれしい。お盆に仏壇の前に飾りたい」と柔らかな笑顔を見せた。父を慕う少女の面影が見えた気がした。何の落ち度もない家族の日常が、突然理不尽に引き裂かれる戦争。遠い過去の出来事ではないと、改めて感じ入った。

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