登戸研究所調査研究成果を共有 宮田でシンポ

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登戸研究所に関する研究成果を参加者たちが共有したシンポジウム=宮田村民会館

太平洋戦争末期に伊那谷などに疎開した旧日本陸軍秘密機関「登戸研究所」に関するシンポジウム「大本営移転計画(本土決戦準備)と登戸研究所の疎開」(長野日報社など後援)が12日、宮田村の村民会館で開かれた。上伊那地方の住民有志らが昨年発足させ、調査活動に取り組んでいる「登戸研究所調査研究会」が主催。同会共同代表で元駒ケ根市教育長の小木曽伸一さんら6人が登壇し、これまでの研究の成果などについて講演した。

小木曽さんは、旧日本軍が最高司令部を松代町(現長野市松代町)に移転しようとした「松代大本営」計画に着目。登戸研究所がなぜ伊那谷に疎開したのかを考察した。

米軍が日本本土に上陸した場合、中南信の広い範囲が松代大本営を防衛するための戦いの舞台になると当時想定された。小木曽さんによると、伊那谷の中でも中沢村(現駒ケ根市中沢)は、▽地形が険しく守りに有利である▽松本や諏訪など要所への交通の便に恵まれている│といった理由から登戸研究所の工場が置かれ、戦地への兵器の速やかな供給が期待されたという。

また、戦争末期に米軍との戦いで20万人以上の日本人が命を落とした「沖縄戦」が、松代大本営移転のための時間稼ぎに使われたと指摘した。シンポジウムのコーディネーター松久芳樹さんは「終戦が遅れていれば、伊那谷も確実に戦場になっていた。沖縄の出来事は決してひとごとではない」と述べた。

シンポジウムには約110人が集まり、講演に耳を傾けた。

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