縄文人自宅で親族供養? 辻屋遺跡調査

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縄文人は自宅で亡くなった親族を代々供養していた―。こう推定するのは茅野市尖石縄文考古館の前館長鵜飼幸雄さん(65)=同市=だ。昨年、同市湖東の辻屋遺跡の住居跡の発掘調査で、時代が異なる地層の中からそれぞれ多くの土器片が見つかったからで、住居内に埋葬した縄文人は、代々“住居墓”上に土器を置いたり土盛りを繰り返した―と考えられるとする。

縄文時代中期前半(5000~4000年前)の遺跡だが、発掘調査に携わった鵜飼さんは「先祖を敬う気持ちは現代人も縄文人も変わらない」としている。

同遺跡からは住居跡2棟分が出土した。その一つからは大量の土器が見つかり、しかも年代の異なる土器片が、時代の異なる地層に沿う形で発掘された。深さ約50センチの住居床からは小さな非日常的な土器が出土。最も時代が新しい地表面側からもこの時代に作られた形式の土器が見つかったという。

なぜ時代が異なる土器が土中で重なるように見つかったのか?。鵜飼さんはこう見る。

病気や災害など不慮の出来事で亡くなった縄文人は、 このとき住居内の土床の上で埋葬された。亡骸には土が盛られ、その後も、子、孫…らが供養(埋葬儀礼)し、その度に覆土して土器を置いた(もしくは土器を置いて覆土した)―。だから住居が土で埋まり土中の深い場所や浅い場所からも土器片が出たとする。

縄文人の骨は見つかっておらず、鵜飼さんはあくまで推定とした上で、床上埋葬と推測するのは、床上に置かれた、おちょこほどの大きさの土器とその位置からという。 こうした小さな土器は普段の生活では使われていなかったといい、この土器が他の土器と離れて一つだけあることや、土器周囲に死者を寝かすだけのスペースがあることも推定要因になっているとする。

鵜飼さんは、住居の柱の穴の中にも土が入り、この穴の上に土器が乗っていたとも指摘。縄文人は人為的に上屋を壊し、柱も取り外して埋葬、追善供養を続けたのではないかと考察する。近くに移り住んだ親族のほか、ムラ人たちが代々行っていた可能性も捨てきれないとする。

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