守矢文書でみる改元の記録 神長官守矢史料館

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これまでの改元に関わる記録や改元年の出来事を紹介している企画展

年号が初めて日本で使用されたのは「大化」、定着したのは大宝元(701)年からとされる。茅野市神長官守矢史料館では、改元に関わる記録や改元される年にどんなことがあったのか、諏訪神社上社の神長官を務めた守矢家の史料「守矢文書」を展示して、その時々の様子を伝えている。

今年、平成から令和に改元されたことから企画した。「守矢文書にみる改元・元年の古文書」と題して15点を展示した。

年号は明治元(1868)年9月8日に「一世一元の詔」が出されるまでさまざまな理由で改元された。主な理由は天皇の即位や、めでたいことがあったとき、地震・洪水・大火災など災異、干支など。

古代では天皇の権限で改元があったものの、鎌倉幕府以降は幕府が干渉、江戸時代には幕府が決定、天皇が認可する形になっていたという。

展示した天明9(1870)年の「神政所日記」の表紙には「寛政」に改元されたことが記され、江戸幕府の寺社奉行から諏訪神社に五穀豊穣と万民安穏の祈とうを行うよう通達があったとする内容を伝える。

寛政に変わったのは天明9年1月25日。祈とうの要因は疫病、関東地方の大水害(天明6年)、京都大火(同8年)など―とある。

慶応4(1868)年の「参籠所日記」は、神祗官からの改元通知が諏訪神社に遅れて届いたことを示している。9月8日に「一世一元の詔」が出され、同日明治に改元される。神祗官は3日後の9月11日付で通知しているが、高島藩郡奉行に呼び出され、諏訪神社に知らされたのは改元17日後の同月25日だったとする。

会期は10月14日まで。展示品を同館学芸員が解説するギャラリートークは9月8日と10月12日(いずれも午後1時30分から)にある。

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