江戸時代からの石尊社の祠を移転 茅野市中沢

LINEで送る
Pocket

移転した石尊社の石の祠(右)。管理は解散した講から地元の老人クラブに引き継がれる=茅野市中沢

茅野市中沢に江戸時代からある雨乞いや農耕の神を祭るとされる「石尊社」の祠が、区内の新たな場所に建立された。同社を信仰する中沢住民中心の集団「石尊講」が、メンバーの高齢化と減少により解散。今まで人知れず建っていた祠を人目の付く場所に安置し、同区の中沢老人クラブが管理を引き継ぐ。メンバーは「由緒ある石尊社を新たな地に建立したことで、地域住民にも関心を持ってもらえるのではないか」としている。

26日午後2時から、延命地蔵尊が既に祭られている小泉山北側裾野の建立場所で「石尊社合祀祭」が行われる。

石尊社の祠は区内の柳川右岸にあり、講が管理。周囲の草刈りを行い毎年6月に例祭を行ってきた。多いときは20人以上いた構成メンバーは年々減少。4人まで落ち込んだ昨年度、「高齢」と「少人数」から解散を余儀なくされていた。

石の祠は人目に付きにくく、近年は周辺が雑草で覆われていたのに加え、祠脇の大木が今年倒れ、もう1本の大木が今度倒れると祠を直撃することも考えられるほか、柳川の崖が崩れると祠が落ちる可能性もあるとして移転を選んだ。社地の所有者は分かっていなかったという。

移転したのは、ほ場整備事業に伴って出た土地で、区が保有。公園化され、これまでに近くの田んぼの土手にあった延命地蔵尊を有志が移転し、祭ってある。石尊社の祠(高さ、奥行きとも約70センチ。幅約40センチ)は延命地蔵尊と並んで建立。石尊社の移転の際、うつぶせに倒れていた「石」が「弁天様」を刻んだ石造物と分かり、これも祠の横に移して安置した。

移転に携わったのはいずれも最後の講のメンバーの伊東周司さん、宮沢修一さん、飯山日出夫さん、伊東広志さんで、講は解散しているものの60~80代の4人が費用を捻出。同区の伊東義之さんが移転工事を担い、台石を置き安置した。

講が保管する文書によると、石尊社は安永2(1773)年8月20日に当番を始めた―とあり、「施主23人」とも記されている。

市八ケ岳総合博物館によると、文書から、23人で建て、清掃や献花、献灯などを当番で行っていた可能性もあるという。石尊社は、神仏分離となった明治時代以前は神奈川県伊勢原市大山の雨降山大山寺から勧請され、諏訪地方など各地に祭られたという。

講の最後の当番だった周司さん(82)は「今まで日陰のような所で管理もできなかったが、新しい土地で(石尊社が)日の目を見て第二の人生を送ることができる」と喜ぶ。老人クラブ会長でもある義之さん(74)は「(これまでもこの場所を管理しているが、石尊社が移転され)ここの格が上がったような感じでうれしい。管理のしがいがある」と話す。

おすすめ情報

PAGE TOP