永六輔さん死去 諏訪から悼む声

LINEで送る
Pocket

「錦の湯寄席」で講話する永さん=2008年5月、諏訪大社下社秋宮参集殿

「錦の湯寄席」で講話する永さん=2008年5月、諏訪大社下社秋宮参集殿


放送や音楽界で多才な活躍をし、7日亡くなった永六輔さんは諏訪地方と縁が深く、下諏訪町などをたびたび訪れていた。各地で開かれる講演会やトークイベントに出演するなど、地域と関わりがあっただけに、親交を重ねた人からは惜しむ声が上がった。

下諏訪町立町で「みなとや旅館」を経営する小口惣三郎さん(84)は、30年以上のつきあいがある。歴史的な浴場「綿の湯」の保存や復興を願って同町で続いてきたイベント「綿の湯寄席」は、小口さんから話を聞いた永さんの発案。1986年の第1回からこれまでに20回以上開いたが、「永さんは毎回手弁当で参加してくれて、自ら出演したほか、司会から会場整理まで親身に関わってくれた」。

悲報に接し、「体調があまり良くないとは聞いていたけれど、『まさかっ』という気持ち。永さんとの思い出はいっぱいありすぎて言葉になって出てこない」。最近届いた手紙に「そのうち車椅子で参上」とあったそうで、「もう会うことはできないが、本当にありがとうございますと伝えたい」と話した。

同町大社通の医師武井秀夫さん(84)も、長年にわたって親交の深かった一人。一昨年夏、自宅の土蔵を整備して完成させた「明治蔵美術館」の開館に招いたところ、来場してオープン記念のトークをしてくれた。「その日が7月7日で、亡くなったのがくしくも2年後の7月7日。第一級の文化人と下諏訪の縁を感じる」と振り返り、「本当にお世話になってありがとうございますという思い。ご冥福をお祈りしたい」と悼んだ。

グラフィックデザイナーの原田泰治さん(76)=諏訪市城南=は、「仕事の話はあまりしないで互いがザックバラン。冗談を言い合っていた」と肩の凝らない付き合いを懐かしんだ。

永さんと出会い初めて会話を交わしたのは30年前の諏訪大社御柱祭。以来、原田泰治美術館(同市)にもたびたび来館。来諏すると、諏訪中央病院(茅野市)の鎌田實名誉院長と3人でよく食事に行ったという。
 原田さんは、永さんに継続することの大切さを教えてもらったといい、「学ぶべき偉大な人が亡くなり、さみしくなる」と惜しんだ。

おすすめ情報

PAGE TOP