古文書で「子年」振り返る 神長官守矢史料館

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古文書から過去の子年にあった出来事などを紹介している「子年の古文書」展

茅野市神長官守矢史料館で、諏訪大社上社の神長官を務めた守矢家の古文書「守矢文書」を紹介した企画展が開かれている。過去のその年の干支(えと)の年にあった出来事を年始めに、守矢文書から振り返る展示会で今回が13年目。今年は子(ね)年にちなみ「子年の古文書」と題して14点を紹介している。2月11日まで。

216年前の1804(享和4)年の「諸事日記」には、上社の神事「御頭祭」は費用がかさみ、減額させようと高島藩が上社関係者を呼び出して調査を命じた―とある。企画した八ケ岳総合博物館の学芸員によると、御頭祭の費用は藩からも出ていたようで、かさんだ費用を問題視した藩は費用削減を神社側にたびたび求めているという。

「日記」によると、それより前の1751~1781年(宝暦~安永年中)は70~80両だった費用が年々増加。お供えや直会で使われたとみられるシカは2・5~3倍になっている―と指摘している。

144年前の1876(明治9)年の「筆記」には、筑摩県参事から、筑摩県庁が焼失し、筑摩県南深志町(松本市深志)の開智学校(現在の開智学校の場所とは異なる)を仮庁舎にすると伝達があった―とあり、県庁焼失は守矢文書に記されるほど一大事件だったことがうかがえる。

今も上社前宮社務所近くに建立されている三つの「石塔」についての記述が132年前の1888(明治21)年の「雑誌」に載る。

この年の8月27日に前宮の地元、安国寺の小町屋の土地から3個の石塔が出土し、その一つに「照雲」という文字が刻まれていたことから、地元の人たちが「照雲」とはどんな人物か神長官に問い合わせたところ、「照雲」は諏訪頼重のことと判明。頼重は一時は鎌倉を占領した人物として知られ、出土した翌日には、祭祀(さいし)が行われ、この日を祭日とした―としているという。

1月11日と2月8日には、ギャラリートークがそれぞれ午後1時30分からある。担当学芸員が展示品を解説する。

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