高遠藩と田中平八 つながり示す古文書発見

LINEで送る
Pocket

高遠藩と田中平八のつながり示す古文書発見

高遠藩が1870(明治3)年に「天下の糸平」として知られる実業家の田中平八(1834~1884年)から5000両を借用したと分かる古文書が、宮田村で発見された。古文書に保証人として名を連ね、伊那街道宮田宿の商家だった代田家が村に寄贈した古文書の中に眠っていた。村教育委員会文化財担当係長の小池勝典さんは「高遠藩の財政事情と平八の財力、高遠藩と平八のつながりを知る上で第一級史料と言える」と話す。村教委は14日から村文化財企画展「代田家寄贈品展」を村民会館で開き、古文書を公開する。

村教委が3日に村民会館で行った記者会見で小池さんは、古文書は「金子借用証文」で、5000両は高遠藩会計局で必要となり、利息1割5分を加えて11月中に返済するなどと書かれてると説明。現在の貨幣価値で1億円以上とみられるという。高遠藩は江戸時代から財政が厳しく、明治に入ってから領内で凶作が続き、「財政は逼迫していた」と推測した。

平八は伊那郡赤須村(現駒ケ根市)で生まれ、高遠藩の小出村(現伊那市)に移り住んだ。19歳で飯田桜町(現飯田市)の染物業田中家の養子となった。1865(慶応元)年、横浜に「糸屋平八商店」を開業し、伊那谷産生糸の貿易や為替で巨利を得た。

当時37歳でありながら財力のあった平八に、高遠藩は藩知事の下にあった「内藤権大参事」の名で大金を借りた。借用証文には担保物件と、保証人として高遠藩内の有力商家であった湯沢元右衛門と代田宇源治の名が記されている。裏には、平八の筆とみられる裏書と押印があり、返済期限内に高遠藩が借用金を完済したと分かる。

借用証文と同時期の古文書が2点見つかっており、1点は高遠藩家老を務めた岡村菊叟が湯沢、代田に宛てた手紙で、岡村の根回しがあった可能性もうかがえるという。もう1点は、平八の代理人から代田への「生糸仕入金借用証文」で、関連性を調べている。
 小池さんは「『長野県史』に掲載されておらず、高遠藩と平八のつながりを示す貴重な発見となり、重要な意味を持つ」と指摘する。

「代田家寄贈品展」は17日まで。15日午後1時から、飯田市美術博物館学芸員の槇村洋介さんを講師に講演会を村民会館で開く。いずれも入場無料。問い合わせは村教委(電話0265・85・2314)へ。

おすすめ情報

PAGE TOP