備えは今 豪雨災害10年[2]生活再建

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「この高さまで泥に埋まったんだ」。被災当時の様子を語る小口幸重さん。窓の向こうに見えるのが船魂社のシダレザクラ

「この高さまで泥に埋まったんだ」。被災当時の様子を語る小口幸重さん。窓の向こうに見えるのが船魂社のシダレザクラ

土石流で甚大な被害を受けた岡谷市湊の小田井沢川流域。地元の花岡区第5町内会などによると、家屋被害は全壊7棟、半壊8棟、床上・床下浸水119棟に上ったが、ほぼ全ての被災者が現地で生活を再建した。災害前と同じ地域コミュニティーが維持されている。

2006年7月19日未明。集落上部の船魂社近くに住む小口幸重さん(76)は、濁流が流れる自宅前の道路で様子を見ていた。水量が少なくなったことを不思議に感じながら自宅に戻り、台所を通り抜けて階段を上り始めたところで、大量の土砂が家の中に押し寄せてきた。

「何が起きたかわからなかった」。小口さんは土砂に足をすくわれ、そのまま数メートル流された。自宅1階の大部分は大破。比較的被害が小さかった台所で九死に一生を得た小口さんは、泥からはい出し、2階に上って窓を開けた。船魂社の社殿が消えている。生き延びたことが奇跡だったことを知った。

小口さんは、避難生活の中で「俺はどこにも行かない」と決め、生活再建に向けた行動をいち早く起こし、3カ月後には改修した自宅に戻った。諏訪湖を見下ろす風光明媚な古里。「生まれ育った湊を離れない」。その決断を後押ししたのが、災害後に建設された砂防えん堤の存在だったという。

災害当時、町内会長だった花岡宏さん(72)も「砂防えん堤ができて安心して住める場所になった」と話す。小田井沢川には国、県、市の予算が集中的に投入され、5年ほどで砂防えん堤4基が完成した。花岡さんは「当時は全国的にも災害が少なくて災害後の復旧事業が早かった。現地での生活再建を願う住民の気持ちとかみ合った」と振り返る。

3年後の09年8月、船魂社では諏訪大社から上社本宮西宝殿の移築を受け、社殿が復興した。境内の枝垂桜は毎年花を咲かせ、住民を勇気付けている。小口さんは「枝垂桜が土石流の流れを変えてくれたおかげで命が助かった。桜が咲くたびにそれを思い出す」と語る。

豪雨災害から10年。花岡さんは「地域のまとまりがうんとよくなった」と目を細める。防災訓練の参加者が増え、自主防災対策は年々充実している。一方で、10年前に直面した困難や課題を伝える機会はないという。「防災訓練の中で引き継げないか」。災害を忘れない取り組みが必要だと感じている。

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