備えは今 豪雨災害10年[6]自助・共助

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橋原区の慰霊祭で碑前に手を合わせる林實英さん

橋原区の慰霊祭で碑前に手を合わせる林實英さん

志平川で発生した土石流で1人が犠牲になった岡谷市川岸の橋原区。災害の教訓を後世に伝える―。改修された志平川と天竜川の合流点近くの災害伝承碑前で17日、災害から10年の節目として慰霊祭が行われた。林實英さん(81)は、碑前に手を合わせながら10年前に身に染みたことを改めて思い出していた。

災害から1年半後の2008年1月に橋原区が発刊した「平成十八年七月豪雨土石流災害記録」。同区災害対策委員長だった林さんはこの中で、真っ先に強調したのは近所付き合いの大切さ。「近隣者の動向が不明ではいざという時に救助の仕様もない」。

さらに、10年前のように同時多発的に災害が発生した時は、「行政でも手の施しようがない」とし、「現場ごとの自前の指揮官が要求される。人や機械が集められても、現場監督が不在では仕事にならない」と、現場指揮官育成の必要性も指摘した。

10年前を振り返り、現在の橋原区の現状を考えた時、「初動でこうしなきゃいけないという教訓は、当時動いた40代以上の区民は身に染みている」とし、災害発生時に最も大切な地域での初動態勢も、「こうやればいいよという形はできている。その意味では教訓は生かされていると思う」と話す。「いざという時にみんなで力を合わせるためにも、常日頃のコミュニケーションが欠かせない」。重要なのはやはり地域の絆だ。

地域での共助のあり方で林さんが指摘する「絆」が、住民が共有すべき理念だとすれば、7人が犠牲になった湊5町内では共助に向けた具体的な取り組みも進んだ。

当時町内会長だった花岡宏さん(72)によると、「一番困ったのは、どこで何が起きているかわからなかったこと」。この反省から、町内会の隣組単位で班員1人を置く総勢16人の「調査広報伝達班」を作った。昨年度からは現場の状況を携帯電話やスマートフォンで撮影し、説明文と一緒にメールで送る仕組みを運用開始。今後は区と市役所の連携も視野に入れる。花岡さんは「情報の収集と伝達の迅速化につながる」と期待する。共助の取り組みとして、他地区でもぜひ取り入れたい仕組みだ。

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