備えは今 豪雨災害10年[7]伝える

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上の原小学校の体育館の壁に残る土石流の跡を指し示す児童

上の原小学校の体育館の壁に残る土石流の跡を指し示す児童

「体育館に腰丈ほどもある泥水が浸水し、波打っているのが窓ガラス越しに見えた。ありえない光景だった」。2006年7月の豪雨災害時に、岡谷市上の原小学校に勤務していた山崎芳美教諭(56)は、土石流が校舎や体育館に流入した当時の様子を振り返る。

同校では、翌年から豪雨災害について学ぶ全校集会を毎年開いている。12年度には、山崎教諭が転出し、同校に残る災害経験者は教諭、児童ともにいなくなったが、在校生は校内に残された資料や写真などを調べ、当時の状況を胸に刻んでいる。

被災経験者がいない中での集会について山崎教諭は「被災した学校の児童という自覚をしっかり受け継いでいる」と話す。今も体育館の壁には土石流の跡が残る。「当時の爪跡を残す建物で集会を開くことに意味がある。子どもの心にはきっと響く」と期待を込める。

豪雨災害から10年の節目となった今年の集会では、5年生が代表して、学校近くの災害発生場所や砂防えん堤を見学した際の学びを発表した。5年生の花岡嵩也君(10)は「災害の記憶はないけれど、本当の恐さがわかるようになった。普段から避難経路を頭に入れている」。同級生の今井鳳飛君(11)は「下級生に命の守り方を伝えていきたい」と話した。

だが、小口昭一校長は災害を風化させずに伝えていく難しさも感じている。「被災した学校の写真を常時校内に掲示し、体験者からも直接話を聞く機会を設けられたら」と考えている。

小田井沢川の土石流により、7人が犠牲となった岡谷市湊花岡区。湊地区では唯一の扇状地で、以前にも土石流が発生していた記録が残る。地元の土木業者によると「少し掘れば大きな石がごろごろと出てくる」という。

区内にある標高1000メートル余の里山「御嶽山」には、かつてこの地であった山崩れを鎮めるために祭ったとされる碑がある。「獣道」を駆け上がった場所にあり、毎年9月に町内会役員がしめ縄を張り替えているが、存在を知る住民は少ない。

06年の土石流の発生場所に建てられた「災害伝承之碑」の周辺の草刈りや花植えなどをしているボランティアグループ「山崩の会」。碑の存在や災害の記憶が忘れ去られないようにと、若い世代の参加を呼び掛けながら活動を続ける。代表の花岡宏行さん(70)は土石流が里に下る瞬間を目の当たりにし、間一髪で難を逃れた。「生き残った者として、豪雨災害を伝えていくのが私に課せられた使命」。活動を続ける意味を改めてかみ締めた。

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