スペイン風邪教訓に 南信日日の紙面から

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スペイン風邪について伝える1918(大正7)~20(同9)年の南信日日新聞の紙面

パンデミック(世界的大流行)となり、多数の死者を出した約100年前のスペイン風邪は諏訪地域にも影響を与え、感染拡大と社会の混乱はコロナ禍に重なる。緊急事態宣言が解除され、経済活動が再開されつつある一方で感染第2波の懸念は地域でも聞かれる。第2、第3の波があったとされるスペイン風邪を伝えた当時の南信日日新聞(現・長野日報)をひも解き、記事から、新型コロナが落ち着いた現在と今後の暮らし方のヒントを探った。

当時の南信日日新聞は、諏訪市図書館内のパソコンで閲覧できるマイクロフィルム化されている。同館は1918(大正7)年8月12日から調べることができることから、同年8月から20(同9)年12月までを検索対象とした。「風邪」、「感冒」、「悪疫」、「流感」の単語で検索。記事中の文字のかすれなどにより、対象の単語が含まれていながら検索されない記事もあった。

18年は被害の状況を伝える記事が多かった。11月30日、12月2日付では、感染状況を調べた当時の上諏訪警察署の調査結果として、同年11月26日現在、現在の諏訪市、茅野市、下諏訪町と岡谷市の一部(長地)の人口合わせて7万8813人中2万8449人が感染し、51人が死亡。岡谷分署管内では現在の岡谷市の一部(平野、川岸、湊の3村)では総人口6万698人の約6割に当たる中3万6508人が感染し、146人が死亡したと報じていた。スペイン風邪の拡大で「製糸工場が数日間、休業した」との報道もあった。

19年には諏訪郡東堀村(現岡谷市)出身で大蔵大臣などを務めた渡辺国武(1846~1919年)が「流行性感冒によって死亡した」と大きく報じた(5月12日)。11月には感染予防対策を細かく伝える記事が増えた。11月11日付では「目にも見えないほどの微細な泡沫が周囲34尺(約10メートル)に吹き飛ばされ、これを吸い込むとうつる。かからないためには▽たくさんの人が集まる場所には行かない▽人が集まる場所ではガーゼやマスクなどを掛け、ない場合はハンカチや手ぬぐいで覆え▽かかった場合は外出したり無理をしたりせず、治ったと思っても医者の許しがあるまで外に出るな」などと紹介した。

20年に入ると、前年の流行を忘れることなく感染予防の徹底で流行期に備えるよう求める記述が目立つ。12月3日付には、18年と比べ19年は死亡率が高まったことから「今年(20年)は一層悪性が増すかもしれない」と警鐘を鳴らしていた。感染拡大の原因を「国民が(感染症を)楽観(軽視)し、多くの人が(あちらこちらを)行き来し、接したため」とし、「根本的予防策は多数の人に接しないこと」と訴えていた。小紙のコラム「八面観」でもたびたび取り上げていた。

当時の新聞では感染拡大の原因としてスペイン風邪を軽視し、落ち着くとすぐに流行前と同じ行動に戻った点を指摘する記載が目立った。新型コロナウイルスの第2波を起こさせないためにも2波、3波を起こしたスペイン風邪の教訓を生かしたい。

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