協力隊は今 活動中断の協力隊員(中)

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今からおよそ1年前の2019年7月17日。赤道にほど近い太平洋の島国ミクロネシア連邦の地に、青年海外協力隊員・野﨑榛香さん(28)=駒ケ根市出身=は降り立った。2週間前に国際協力機構(JICA)から協力隊員の認定を受け、この日、米領グアム島を経由して任国に到着したのだ。

滞在地は首都パリキールから西へ2千キロ以上離れたヤップ島。周辺をサンゴ礁に囲まれ、訪れる者が青く美しい海に癒やされる常夏の南国だ。面積は伊豆大島(東京都)よりやや大きいおよそ100平方キロメートル。約1万人が暮らしている。

野﨑さんは、現地の学校が8月から授業期間に入るのと同時に協力隊としての活動を本格的に開始した。日本の小中学生に当たる子どもたちに算数・数学を教えるほか、ヤップ島の教師の指導力向上に取り組むことが任務だった。

活動は決して順調だったわけではない。授業が始まってから2カ月後。日本と違ってヤップ島の学校には教科書がないため、それに準じたものを作ろうと提案した。同僚たちは賛成してくれたが、地元の教育当局の反応は芳しくなかった。過去に滞在した協力隊員たちもさまざまなアイデアを出している。ただ、日本式の考えを持ち込もうとして現地の風土に合わなかったケースもあり、根付かないことが多かったのだ。

そこで野﨑さんは「一緒にやってみるスタンス(立場)」を取ることにした。自分の意図するままに進めるのではなく、同僚たちと話し合いを重ね、学校の子どもたちが苦手とする分野を重点的に克服する教材作りに取り組んだ。教材が完成してからしばらく後、「算数は苦手」と言っていた子どもの成績が上がった時の喜びはひとしおだった。野﨑さんが学校を離れている今も、教材は大切に使われている。

学校の外でも積極的に現地の人たちとコミュニケーションを図った。野﨑さんを温かく迎え入れてくれたホームステイ先の家族と行動を共にし、地元の住民たちと「まったく同じ暮らし」をするよう心掛けた。ミクロネシアの主食であるタロイモの収穫作業を手伝ったり、地域の祭りで民族衣装を身にまといながら踊ったり。いつしか住民の輪に溶け込み、知らない人からも「ハルカ!」と声を掛けられるようになっていた。

軌道に乗り始めたヤップ島での生活。だが今年に入り、未知のウイルスの脅威に直面する日が刻々と近づきつつあった。

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